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個性と感性、嗚呼勘違い。

私には、常々疑問に思っていることがあります、と申しますか、間違っているのではないかと思うことがあるのです。
それは、自己の感性を磨くことが、個性を発揮することに繋がり、結果として、その人なりのスタイルの完成に至る、という図式が、です。
私は、個性というものは、物理的で肉体的で個人的なもの。つまり、具体的で現実的な、その人だけのものだと思っています。それに対して、感性というものは、精神的で抽象的で社会的なもの、或いは、多くの人との共有概念だと思っています。つまり、個性というものは、思考でもなく、感情でもなく、具体的な行動パターンだと考えているということです。
着る事に関しても、それは全く同じことだと思っています。
Aさんは紺が好き、Bさんはグレイが好き、というのは、一見感性の世界のお話で、精神的なもののように見えますが、だからAさんが紺の服を着る、Bさんがグレイの服を着る、というのは、きわめて具体的かつ現実的な行動で、他人はそれらの行動によって、AさんやBさんの個性というものを認識するからです。

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彼のこういった服装もまた、現実的な試行錯誤と選択の結果です。

感性というものは、人と人との共通概念であって、決して個人的なものではありません。
人の成功を喜ぶ、羨む、また、人の不幸や死を悲しんだり、悼んだりする、それが感性です。それは、成功というものが形はどうあれ、喜ばしい、または羨むべきもの、不幸や死は、悲しい、そして悼むべきものという共通概念があってはじめて成り立つものなのです。
装いの上手な人を、あの人は素敵だ、と認識する感性もまた、そうしたものです。「素敵」という共通概念があるから、そう思うのです。
反対する、感性=個性派(笑)の方達に、具体的な反証を挙げると、感性が個々千差万別で、イコール個性ということはこういうことです。スーツを完璧に着こなしている人を素敵と思う人がいて、また、同じレベルで、髪も洗わず異臭を放ち、そのうえ糞尿まみれの人を素敵と思う人がいるということです。肉親の死を哀しいと思うのと同じレベルで、喜ばしいと思う(対立したり、特定の思惑が有ってではありませんよ・笑)人がいるということです。
感性を、個人固有のものと考えるのはそういうことであって、イコール個性ということになれば、社会というものが機能しなくなってしまうのです。

ですから、経験値なるものがモノを言うことというのは、全て、肉体的、物理的事象なのです。着こなしとて例外ではありません。
経験値がモノを言うということは、反復練習や試行錯誤によって方法が選択されていくということで、一見、感覚的、精神的な感情作用に見えますが、実に具体的な行動の積み重ねなのです。
その人なりのスタイルというのは、こうした動作の繰り返しによって確立するもので、古来日本では、それを「型」と言いました。茶道でも、能でも、完成の域に達すると型がイコール自然とされるのは、このことを示しているのです。

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反復練習の積み重ねの、明確な成果の事例ではないでしょうか(笑)

私が何を書きたいのかと言えば、安易に人の服装の真似をして、しかも上手くいかない人というのは、上記のような事の理解が欠けているのだと思う、ということです。
そして、そういう方の多くは、その原因を感性の違いや優劣という誤解に転嫁してしまうのです。
考えても見て下さい。まず顔、そして体格をはじめ、自分と全く同じという人は、世に一人として存在しないのです。ということは、自分が素敵だと思う人のやり方を(それは服の色や柄などだけでなく、考え方や選択方法なども含めてですが)そのまま単純に真似てもダメに決まっています。
世に、多くの人に素敵だと言われる人は、多くの試行錯誤と反復練習を繰り返してきているからこそ、そうなっているのです。
チェロに一度触れたというだけで、オーケストラの奏者のように弾けるようになる訳ではないのです。昨日、画材屋さんで初めて絵具と筆を買ってきた人間が、人間国宝のような絵が描ける訳ではないのです。
こう具体的に書けば、解からないという方は殆どいらっしゃらないでしょう。しかし、ご自分の服装に関することは如何でしょうか(笑)。
案ずるより産むが易し。習うより慣れろ。自分だけの唯一無二の感性を発揮した挙句、葬儀で一人大笑いするおかしな人になってしまう前に、まず、自分で試行錯誤し、反復練習することをお勧めしたいと思います。

そして、「あなただけの感性により磨きをかけ、自分だけのスタイルを確立しましょう」などという、怪しげなことを言う人達の話は、眉に唾して聞いて頂きたいものです。

徒然の徒然 (1)。

私は思慮深くありたいし、また人はそうあろうと努めるべきだとも思うのです。
自分が無策な事に対して、他人が気の利いて見える事を言うと、熟慮もせずにすぐチヤホヤする。そんな、笛を吹けば踊り出すが如き軽率は行動力とは全く違うと思っています。その種の愚かさを持つ者は、常に他人に危険と不利益をもたらすものです。

人間の持つ最も醜い癖の一つは、平凡に齢を重ねると「自分はこういう人を知っている。」とか、世にその道の大家と云われている人間の言葉を安易に引用して、「この人はこう言っている(だから私は間違っていない)。」と言いたがる事です。
そして、人間の弱さというのは、肥満した人間を見れば理解できます。自分が怠惰で醜いことを熟知しながら、他人にそれを指摘されると、自らの怠惰を反省もせず、勝手に傷つき、指摘した者を非常識とののしり、克服の努力からは常に目を背けるものです。誰しもが持つ弱さではあるが、肥満した人間はそれがとりわけ顕著であるという傾向があります。

自分を表現する事と、自分の弱さを赤裸々に曝け出す事は違うものです。
誰でも突発時には取り乱すことはあるものです。しかし、少し時間がたてば落ち着きを取り戻して事態に対処し、狼狽えないのが大人でしょう。
あそこでこんな話が、あの人がこう言っているという類の危機意識の煽り方は、幼児の囃し立てや泣き言に等しいものです。

自分が、訳もわからず不安で、安心したいがための仲間作りに、人間の危機意識を利用するのは、とても悪質なことだと思います。やる者はどんな時でも、一人でも、百万人とでもやるべきことはやるものです。
「今、何かしてますか?」という問いかけをする者が一番使い物にならない者でしょう。自分の頭で考えて、自分の責任で、自分の身体で行動して欲しいものです。

自分の行動を他者のそれと比較して過大評価しても過小評価してもいけません。行動を比較すること自体が不毛です。一文字を書くことと大岩を動かすことの効果のどちらが大きいかは、本人にはわからないのですから。自分の人生に信念も哲学も持てない者は、たいていこれで自信を失うものです。黙々と自分がすべきと思う事だけを為せばよいのです。

引用で恐縮ですが、私がいつも心で味わいなおす言葉です。『私は、小さな一隅を照らすものでありたい。私の照らす一隅が、どんなに惨めで、小さく、儚くても、悪びれず、怯まず、いつもほのかに照らしていたい。そして私は、人の唇に浮かぶ微笑みを、自分の幸せと感じられる人間でありたい。』
諸葛亮も、仰いました。『吾が心、秤の如し。人(他人)の為に低昂する能はず。』

仕立て屋さん、ポワロと私。

アガサ・クリスティー作の名探偵、エルキュール・ポワロをご存知の方は多いと思います。
私はITVのドラマで、俳優のデビッド・スーシェ演じる「エルキュール・ポワロ」の、『誘拐された総理大臣 (The Kidnapped Prime Minister)』という回が好きなのです。
ストーリー全般は、ポワロのシリーズの中ではあまり盛り上がる方ではないのですが、オープニングとエピローグで、ポワロが仕立て屋へ行き、服を誂えるシーンが好きなのです。私の思っている仕立て屋さんの理想に近い形がそこにはあるからです。

ポワロの服を仕立てる、老仕立て屋Fingler氏は、寂しい街外れに店を構えています。
質素な服装をして、反物が天井まで積まれた雑然とした店で作業をしています。しかし、自身の技術に関しての努力・研鑽と自信は揺るぎなく、同行したポワロの友人にしてパートナーのヘイスティングズ氏が、それを疑う素振りを見せると、「サビル・ロゥ(日本語吹き替えでは有名な店となっています)をお試しになられたければ、いつでもどうぞ。でも、みんな私が教えた子達ですよ。」と、チクリとやりますが、服を作るということ以外にはすべてに控えめで、出過ぎる事がありません。
Fingler氏が、ポワロのウエストが1/2インチ増えた(太った)ことを指摘して、ポワロがそれを否定すると、彼は悪戯っぽい表情でヘイスティングズ氏に、「このお客様は、毎年、私のメジャーが縮むとおっしゃるんです」と言い、ポワロと顔を見合わせて微笑むシーンは秀逸です。
店を出てから、ヘイスティングズ氏がポワロにもう一度、「どうしてサビル・ロゥ(日本語吹き替えでは、やはり有名な店になっていますが)で仕立てないんです?」と聞くと、ポワロはこう答えます。
「Fingler氏は芸術家と言っていい仕立て屋です、そういう人間には、それを理解し、支える人間が必ず必要なんです。」

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現在の、日本人の仕立て屋さんの「技術」は優秀だと思います。特に、三十代中盤から四十代くらいまでの、若手と言われる仕立て屋さん達の技術は、世界的に見ても、全く遜色がないか、むしろ上回っているとさえ感じます。
しかし、私が気になっているのは、彼らの多くが、私が考える「お客様を迎えるに相応しい」装いをしておらず、どこぞの大手企業の経営陣のような服装や、休日に遊びに行くような服装、これからナイトイベントに繰り出すような服装をしていて、自らをスタイルの発信源の様に意識しているかのようなフシが見え隠れするということです。
日本では、仕立て屋さんの場合は、家業を継ぐ方よりも、服好きが昂じて仕事になった方が多くなりつつあることや、欧州などに比べて、服を誂える顧客のレベルが低いということがあり、そうした状況になるのは、ある程度致し方が無いと言えるのかもしれませんが、ハッキリ申し上げて、私は好きではありませんし、仕立て屋さんが教祖の様になっている状況も不気味だと思いますし(笑)、私は服を作る新興宗教に入信する気も、お布施をする気も全くありません。

ここで一つ、日本の多くの方が勘違いされていることを指摘しておきたいと思います。日本ではここ数年、職人やクラフツマンシップが大きく評価されていますが、私は、その点、やや過剰に過ぎると思っています。私も、自身が技術者でありますから、そうしたものは尊重しますし、非常に大切に思っていますが、それと、職人や技術者を祀り上げることとは違うと思うのです。
例えて言うならば、イングリッシュネスやパリのエスプリ、ローマやミラノのエレガンスを体現しているのは、仕立て屋さんなどではなく、質の高い顧客達なのです。そうした質の高い顧客を納得させ続けていられるだけの能力を持ち、努力・研鑽を重ねているからこそ、一流どころはそうなのであって、はじめにまず顧客ありき、なのです。服を作る人間を祀り上げている限り、日本の顧客たちはその域に達することはできないでしょう。
これは、服作りをする人達を決して軽視したり、貶めたりしていうものではありませんが、顧客にとって仕立て屋さんは、自己を表現するための、自分にとって必要な要素を得る為の、一つの機関なり道具である、それ以上でも以下でもない、とどこかで意識するべきであると思うのです。そう思えてはじめて、「たかが服、されど服」の意識になれるのだと思います。

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私が服を仕立てる時に選ぶ生地には、ある特長があります。それは、私の好みでもあり、私が持っている、服を着て行くステージの傾向でもあると思います。また、どんなに生地の素性やスペックが良くても、決して着ないタイプの生地もあります。
私は、最大二度の対話で、そうした私のことを掴み取れない人には、どんなに技術が優れていても決して服を注文することはありません。また、自分が如何に良い生地だと思っても、私の好みでない、或いは着ないタイプの生地を強く勧められる、ということが大嫌いなのです。
服を作る時に、私と仕立て屋さんの関係は、王様と召使いの関係だと思っています。別に、横暴なこともしませんし、理不尽な我儘も言いませんが(笑)、召使いの分を超えた発言や振る舞いは、私の最も嫌うところです。顧客を持つ、所謂客商売には、顧客の前で弁えるべき分というものがあり、日本の仕立て屋さんには(勿論、総じてということではなく、素晴らしいところもありますが)、その辺りをよく理解されていなかったり、誤解されている方が多いように思います。

私が服を任せている仕立て屋さんは、身嗜みをはじめとして、顧客を持つ人間としての行動や物言いは、私に関する限りパーフェクトと言ってよい人なのです。
服装は、きちんとしていますが決して出過ぎず、私が欲しない、必要としないものを勧めたことがありません。
また、上着でも、ウエストコートでも、トラウザースでも、私の手が自然に行くところに釦があるなど、顧客が服を着ていることを忘れ、自然に振る舞う為の、観察と工夫を怠らず、常に続けている人です。
所謂、仕立て屋さんの専門技術の領域に属することでは、彼を上回る仕立て屋さんもいるかと思います。けれども私は、私の仕立て屋さんが店主として私に接する快さ心地よさ、彼の服を纏った時になれる自然で無意識な感覚がある限り、今お世話をかけている仕立て屋さんとは離れられないでしょう(笑)。

Wearing a trench coat, in my case.

私のトレンチコートの着方について書かせて頂きます。
トレンチコートは、仕様や着方について、好きな方は必ず一家言ある、日本ではある意味カルトなアイテムで、その着方についても、様々な方が色々な説を展開されています。
最初にお断りしておきますが、私は、それに参加しようという気もありませんし、また、自分の着方が正統なのだと主張する気も全くありません。
ただ、トレンチコートの様な、元々何かの役割を持って生まれた服を着用することに対する精神性について、私の中においてそれが正しいのではないかと思えること、そして、私の経験したような話や文章を巷で目にすることが無いために、皆様の何かのご参考や楽しみになれば、と、ご紹介させて頂くことに致しました。

私は、二着のトレンチコートを持っています。
一着は、祖父の形見のバーバリーで〇善の別注品、ごく普通の色で、裏地もごく一般的な所謂バーバリーチェックです。父が全く着なかったために、いつも洋服かけの隅っこにぶら下がっていたのを、高校生の時に私が貰い受け、着続けて今に至ります。祖父は、私より身長が低く身体はゴツかったので、このコートは、私が着るとややオーバーサイズで、丈が短いということになります。それでも、今のコートに比べればずっと長くて、ロングコートというには充分ですが(笑)。
二着目は、二十歳の折にロンドンの、今は無き旗艦店で購入した、アクァスキュータムです。当時のイメージでは、バーバリーは無骨で、アクァスキュータムは比較するとややスタイリッシュ(笑)ということだったので、祖父の形見とは対称的なものが欲しいと思い、真っ黒で裏地もまっ黒のものを購入しました。細部の仕様は似たようなものでしたが、フロントがシングル比翼の、所謂シングルトレンチというものです。

その頃の私は、トレンチコートの着方など全く考えずに、寒ければ着、雨が降れば着、していましたが、二十代前半の時に、ロイヤル・アーミーの退役将官の方と親しくなりました。年齢は、私の祖父と父のちょうど中間くらいの方で、いかにも英国の将軍然とした風貌の方で、強い視線ではあるけれど、落ち着いた優しい瞳が印象的でした。
何の折かは忘れてしまいましたが、私が祖父のバーバリーを着て訪れた時のことです。いつもは優しい彼の瞳が急に険しくなり、挨拶もそこそこにやおら私に近寄ってきて、こうおっしゃるのです。
「オフィサーコートを女や役者のように着てはいかん!」
彼は、トレンチコートを常に、オフィサーコートと言っておりました。
その時の私は、確か、フロントの一番下のボタンを外し、ベルトを結び、チンフラップを取り外しておりました。
私にコートを脱ぐ間も与えずに、彼は自らの手で、ボタンを嵌め、ベルトを穴に嵌めて長く余った部分を処理して、襟を整え、鏡の前に連れて行くと、そこでまたこうおっしゃいました。
「ユニフォームには着方というものがあり、それには理由がある、着る以上は決してそれを崩してはいけない!」と。私にチンフラップを出させると、それを取りつけながらまた、
「将校は、いつ必要になるかわからないものにも、常に対応できる準備をしておかなければならない。」と。
その時の私は、正直、彼の言葉に偏見と矛盾を感じない訳ではありませんでしたが、あまりの迫力に素直に受け入れざるを得ませんでした。
私は彼と、これ以外の服装についての話をすることは全くありませんでしたし、意見を言われたり、ダメを出されたこともありませんでしたが、トレンチコートの着方については、着ているのを見る度に小言を言われ、その都度修正されました。
その摺り込みのせいか、彼の指導(笑)による着方がいつか身に沁みついてしまったのです。

お付き合いをするうちに、面白いことも幾つかありました。
彼の部下や同僚といった立場の方にお目にかかる機会も幾度となくありましたが、彼らがトレンチコートを着ている時は、一部の隙もなく、私が指導を受けた通りの着方をしているのです。コートのメーカーや仕様はバラバラなのですが、身のこなしと着方が完璧に同じだと、一種独特の清爽な一体感が生まれ、確かに、トレンチコートはユニフォーム(軍服)の一つなのだと、自然に納得させられるものがありました。そして、そうした時の彼等は、現役時代を彷彿とさせ、惚れ惚れするほどに精悍でした。
彼等は、いくら親しくなっても、師団や部隊内のことについてはなかなか語ってくれないのですが、チラッと話してくれたところでは、トレンチコートの着方については、彼や、彼の前の師団長が始めたことではなく、もっとずっと以前から着方として決まっており、崩すことは軍紀違反として懲罰の対象になるということでした。
彼はまた、私を時折軍族の集まりに連れて行ってくれました。日本人の若者を連れて歩くのが面白かったのかもしれません。そうした場所では、露骨に差別をする方や、嫌悪する方もおりましたが、その度に彼はニヤリと笑って私に言うのです。
「敵の戦術に動揺を顕わすような未熟な人間は将校として失格だ。」と。いや、将校になった気は無かったのですが・・・(笑)。
そうした集まりの中で、私が苦笑を禁じ得なかったのが、彼がダメだと言ったコートの着方をしている元軍族が、沢山いたということです。極端な例では、ベルトのDカンを上向きにしている人までいるのですが、しかし、やはりそれが何人も集まって、さもそれが常識だ(彼等は明らかにそう思っています)という感じでいると、そう見えてくるから不思議なものです。
彼も、そうした人間達の着方には無関心で、私がそれを見ていても、何を言うということもありませんでした。つまり、コートの着方は、それぞれの師団や部隊の内規というべきものであり、その軍の役割や内容によって着方が違い、それが始まった頃にはそれぞれの具体的な理由が存在したということなのだと、その時私は始めて理解ができたのでした。

そんなお付き合いにも、やがて終わりの時がやって来ます。
それは、突然の報せでした。
私が、三十代も後半に入った冬に手紙が届きました。その手紙には、彼が重く病んでいること、そして、おそらく再起ができないであろうことが書かれていました。手紙の最後の部分には、こんな風に書かれていました。
「私との別れを悲しんでくれるのは有難いが、自分を失ってはならない。この手紙を読んで、君が私との最後の会見をするために英国に来る気になったとしたら、それは間違っている。君の年齢の男には、為すべきことが山積している筈なのだから、決して私との会見を理由にそれを放棄してはならない。やがて、君が再び英国に来た時には、私がいた時と変わらぬように、残された妻と付き合ってやってくれるようにお願いしたい。君と心を通わせられたことを嬉しく思う。これまでの好意に深く感謝している。君の前途の幸運を心から願っている」と。
これを読んで、私は、深い悲しみとともに、彼はまぎれもなく「本物」であり、本当に彼が私にいつも言ったような「将校」であったのだと思い、また、今の自分では、自らの死に臨んでここまで取り乱さず、見事には振る舞えないだろうと、自分の拙さを思ったのでした。
この手紙を受け取ってから四ヶ月後に、彼の奥さまから、生前の好誼を深く感謝する旨のお礼の手紙と、形見の品が届きました。

繰り返しますが、私は、自分のトレンチコートの着方が正統だという気はありません。また、このコートの出自が軍服であるから、彼等の着方が正しいのだと主張する気もありません。
けれども、私は、今の自分のトレンチコートの着方を、仮にそれが伝統的に間違った着方だと証明されたとしても、死んでも変えるつもりはありません。
なぜなら、この着方は、彼が私に与えてくれた最も大きな形見であると思っているからです。

黒き鬣。

11月に入ってから、いただくブラックタイの招待が増えて来ています。クリスマスくらいまでは、このまま多くなってゆくのだろうと思います。

ここ数年、日本でブラックタイの集いに出向くと、帰りにポロポロと幾つか思うことがあるのです。

・ブラックタイのボウタイは、やっぱり拝絹と共地の黒いシルクサテンがいいと思う。
・ベルベットのタイや、色柄のタイは、よっぽどの人じゃないと・・・、いや、まず素敵に見えないと思う。
・拝絹は、グログランよりやっぱりサテンがいい。日本人の髪にグログロランの拝絹&タイは少し重たいし、やっぱり、質のいいシルクサテンは華やかでありながら落ち着いて、気高く見えるように思う。
・ホーズも、赤いのや紫のを履いてらっしゃる方がたまに見えるが、やはり、黒で薄手のシルクが見目よく見えると思う。
・靴は、カーフでもいいけれど、拝絹と側章とのバランスがあるから、やっぱりパテントが基本かな・・・。カーフを履くなら、ツルツルピカピカにまでする必要はないと思うけれど、少し光るくらいにはポリッシングしておかないと・・・、と思う。
・オペラパンプスは、デッカいけれど幅広で甲高で長さの無い足には似合わないと思う。
・アメリカ人の真似をして、キャップトゥを履くのも、白いタイをするのも、アメリカのアパレルハウスが提案したりしておりますが、なんとなく様になって見えないと思う。ローファーは論外。
・日本の男性は、シャツをクリーニングに出して、パリパリに糊付けする人が多いから、シャツのボタンはドレススタッズの方が合うと思うし、そういうシャツに貝釦は合わないように思う。
・日本の男性は、すぐに座る癖を直した方がいいと思う。長くて精々4〜5時間が立っていられないようではちょっと・・・、情けないと思う。

以上、「ポロポロ思う」の箇条書きでした(笑)。

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フォーマルウェアは、逸脱しないことが端正さです。

これは、欧州でもそうですが、フォーマルの集まりで素敵に見える人というのは、セットアップの基準を逸脱しない人が95%以上ですね。奇を衒ったり、変わったことをする人は、一旦は注目されたりしますけれど、人となりに落ち着きが無かったり、すわりの悪い人が多いです。
そもそも、服装を合わせるというのは、そうした申し合わせをすることによって、その集いの権威を高めたり、より充実したものにするためなのですから、なぜ、それを崩そうという気になるのかが、私には理解できません。招待する側からの、ドレスコードの要求が嫌ならば、参加しなければよいだけのことです。そうはせずに、申し入れは無視するけれども、行くことは行く、というのは、皆が楽しんでいるところに割り込んで、他人の楽しみを壊して悦ぶが如き行為と同様のメンタルが内包されていると思います。
もし、自分の個性の周囲と違う部分を発揮したいのならば、ダンスを上達させるとか、楽しい話題を豊富に話せるとかでやって頂いた方が、はるかに健全だと思いますし、周囲の方達へのサービスになると思います。
それに、個性の発揮をモノ(服装)に頼るという発想が、なんとなく卑小で、さもしい感じを受けるのですが・・・。
この種の服というのは、きちんと着るから素敵なのであって、崩せば崩すほど、そこからは遠くなっていくものだと思うのです。どんなことにも例外は存在し、この種のことにも、そうした制約に縛られない感性を天から授けられた人は存在しますが、それはあくまで例外です。例外を一般化して考えるのは、危険ですし、それ以前に愚かな行為です。

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個性の発揮は装いに頼らず、本人の行動で。

よく、タイやカマーバンドをカラフルなものに変えて、純然たるブラックタイ以外に、ダークスーツなどのシーンで着用するようにしたらどうか、という提案を聞くこともありますが、私は、そうは思いません。
ディナーコート(タキシード)に、色柄のタイや、その共地のカマーバンドなどは、基本的に合わないですし、私の経験では、それをして素敵だった人を見た試しがありません。稀に、様になっている方もいらっしゃいますが、その直後に同じ人に対してこうも思うのです。「タイがきちんと黒だったらもっと素敵なのにな。」と。
色柄のボウタイをしたいのなら、ダークスーツに合わせた方が落ち着きますし、ずっと素敵です。それに、参加するフォーマルシーンが少ないから、着用する機会を増やそうとして無理やり組み合わせるのもどうかと・・・。ちょっと、発想が貧しいのではないかと空しさを感じるのですが・・・。

私は、フォーマルにおける男性の黒とは、人間の男性にとっての、黒い鬣のようなものだと思うのです。
想像して頂きたいのです。
黒い鬣をなびかせる獅子の群れの中に、一頭か二頭、鬣を染めたのやブリーチしたの、はたまた、三つ編みにしたのなんかがいたら・・・、なんとなく笑っちゃいますよね(笑)。雰囲気ぶち壊しです。
ブラックタイにおける崩しとは、そういうことなのです。
私は、私自身も、そして、私の周囲の人達にも、颯爽と黒い鬣をなびかせる獅子でありたい、あって欲しいと願っています。

Wardrobeと汁かけ飯。

身に着けるものは、「全て見えるところにあるのがよい」と仰る方が多くいらっしゃいます。まさに、おっしゃる通りだと思います。
ワードローブはそうあるのが望ましく、出来れば陽の光と、薄暗いスペースがあれば、黒と濃紺を間違うことも無く(笑)、なおよいと思います。
しかし、各アイテムを、スーツ、タイ、シャツ、ホーズ、靴と組み合わせて、それごとにセットアップしておくのはどうでしょう? 私は、あまり良いことだとは思いません。そうしておかなければ、そうした組み合わせをチョイスすることが出来ないのだろうか?と疑問に思ってしまいます。
こうした話を聞くと、私は、戦国大名の北条氏康が、息子氏政の汁かけ飯の食べ方を嘆く話を思い出して、ちょっと切なくなってしまいます。

汁かけ飯のエピソードというのは、以下のようなお話です。
北条氏康が息子と食事をした時に、食事の終わりに二人で汁かけ飯をしました。今では、汁かけ飯や茶漬けは、あまり品の無い飯の食べ方だとの印象もありますが、戦国期の武家では、汁かけ飯と湯漬けは、ごく当たり前の飯の食べ方でした。
氏康は、息子の氏政が、飯に汁をかけるのに一回で適量にできず、二回目で適量になって食べ始めたのを見て、「やれやれ、自分が死んだらコイツの代で我が家は終わりだろう。」と嘆いたといいます。
後に家臣が、その理由を氏康に尋ねると、
「物心ついてから今までに、食事は毎日二回(当時は一日二食)、何回となく繰り返してきているのだ。それなのに、よい年齢になっても自分が飯を食べるのに必要な汁の量さえ身に付かないようでは、あいつの代で我が家は潰えるだろう。」
と答えたといいます。
事実、小田原北条氏は氏政の代に豊臣秀吉によって滅ぼされ、氏政は切腹させられてしまいます。

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北条氏康座像

身に着けるものをセットアップしておく、というのは、汁かけ飯にする汁を計量するようなものです。多くの人は二十代前半から、人によってはもっと若い時から、日常身に着けるのですから、どのアイテムを先に決めるかは別として、一つのアイテムを選択したら、無意識に近い状態で残りのアイテムが決まるようでなくては、私は、それが身に付いているとは言えないと思います。
また、例えば、一着のスーツに対して、その人のベストの組み合わせというのは、どんなに多くても、通常五通りは無い筈ですので、少なくとも三十歳を過ぎたら、たまの例外はあるにしても、その日の服装を決めるのにアレコレ悩んだり、時間がかかるというのは、成人男子として未熟であるということ以外なにものでもないと思います。

私は、以前の頁にも書かせて頂いたように、スーツ、シャツ、ネクタイやホーズ、靴の選択に悩むのは、出掛ける前の朝や、前日の夜に男がとるべき行為ではないと思っています。
これも、何度も書きますが、もっと他にやるべきことがあると思っています。身に着けるもので言えば、シャツはきちんとプレスがされているか、トラウザースのクリースはきちんと入っているか、上着にブラシはあたっているか、靴はきちんと磨かれているか、の方がはるかに比重が重いと思います。
身に着けるものを、あれやこれやと考える時間が楽しくて仕方がないんだよ、という方もいらっしゃるでしょう。そういう方は、好きでやっていらっしゃるのですから、どうぞお気の済むまで楽しまれたらよいと思います。
けれども、コレは私の偏見かもしれませんが、それでも私はそうした行為が男らしい行為とは思えません。

勘違いして頂いては困るのですが、アイテムの選択や組み合わせがいい加減でよいと言っている訳ではありません。よい年齢をして、自分にとってベストな、またはそれに近い選択や組み合わせが決まっていない、理解できていないのは、未熟だと言っているのです。それは、自分の事が理解できていないということであって、若ければ言い訳もできますが、そこそこの年齢になっていれば、「いつまで自分探しをやっているの?人生は短いよ。」ということになります。
精神的に、一生をかけて研鑽していくということは厳然と存在すると思います。そうしたことが、その人の装いに影響することも、また大いにあるでしょう。しかし、それを毎日の着る服や履く靴の選択に右往左往することと重ね合わせるのは、間違っていると思いますし、あまりにも卑小だと思います。

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自然な所作や振る舞いは、日々の鍛錬の到達点の一つと言えるかもしれません。

こうしたことは、会食をした時にも時折感じさせられます。
最近の方は、美味しいお店や高級なお店をよくご存知で、食いしん坊の私は、そうした人達と会食するのがとても楽しみです。
そうした知識や情報が敷衍する一方で、きちんと箸が持てる人の数が反比例しています。今では、十人と食事をすれば、六人はまともに箸が持てない人、という統計です(笑)。
私は、あまり神経質な人間ではないので、そうした箸の持ち方を見て、不快になることはありませんが、「こんな美味しい食事を理解できる感性があるのに、お箸の持ち方をきちんと教育されなかったのかかなぁ。」と気の毒に思うと同時に、ちょっぴり日本人として恥ずかしいとも思うのです。
お話は少しずれますが、お子様をお持ちの親御さんは、どうか、きちんとお箸を持てるように教えて差し上げて下さい。毎日のことだというだけで、難しいことではないと思いますので。

所作や振る舞いというのは、あくまで自然でなくてはなりません。
こうした話を聞いたからと、人前で箸の持ち方に全神経を遣い、周りの人から気の毒に思われるようでは本末転倒ですし、いかに積み重ねが大事かということだと思います。
つまり、飯に汁をかけるという毎日行う何気ない、つまらないと思える行為にも、おのれのインテリジェンスを動員してこれを行え、ということなのでしょう。戦国大名というのは、毎日そうした緊迫感の中で生きてきたということでしょうね。
日本の伝統技能には、鍛錬と積み重ねによって無意識になり、所作と振る舞いが自然になる、というものが多くあります。茶の湯然り、能然り。
サー・ハーディーによる、私の好きな装いに関する言葉、

A man should look as if he had bought his clothes with intelligence,
put them on with care, and then forgotten all about them.

は、そうしたことをおっしゃっておられるのだと思います。
勘違いされた解釈をしておられる方、多いと思うのですが・・・。

過去の記事に加筆致しました。

いつもご高覧頂きまして、ありがとうございます。

以下の二つの記事に加筆致しました。


2008年8月21日 靴磨きで自分磨き?       2011年11月11日加筆

2010年2月 4日 ギリシア神話のごとく・・・。    2011年11月 7日加筆

利休とブランメル。

私は、心静かになりたい時に、よくお茶をたてることがあります。
幼少期、じっとしていられない子供であった私は、色々な習い事をさせられ、その多くは、ご教授くださる方達と諍い、続きませんでしたが、何故か、茶道だけは長く続けられました。おかげさまで、名取りを頂くまでになりましたが、私のような子供が、茶道を続けられた理由として、茶道には食事やお菓子が付き物であるということが最大の理由であったことは否めませんが(笑)、その独特の世界観、空気、音、そして、私がなかなかできない所作を、自然に易々と、しかも美しくこなす大人たちに魅された、ということもまた大きかったのです。

日本人で、千利休をご存知ない方は少ないと思います。
侘び茶を確立した人物、茶道を我が国の伝統文化として定着させる基となった人物として、茶道を嗜む人間からは、流派を超えて半神的な扱いをされますが、大茶人と言われる人物は他にもいたというのに、なぜ、利休だったのでしょうか。
唐物や名物といった贅沢な茶器に頼らずに、装飾性を否定し、ある意味禁欲主義的ともいえるやり方で、侘び茶の世界観を表現し得たことなどを理由に挙げる方も多いのですが、私は、それでは説明しきれないものがあると思っています。

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千宗易(利休居士)座像

元々、千利休は、織田信長の抱えた茶人であって、津田宗及、今井宗久とならんで、天下の三宗匠とよばれる茶頭でしたが、この三人の中では末席に近い扱いでした。それが、豊臣秀吉の世となって、秀吉に引き上げられて、ほぼ独占的に彼の茶頭となり、茶の湯に関する唯一のアドバイザーとなりました。千利休の利休というのは、秀吉が仲介し、正親町天皇が勅許した「居士号」です。
秀吉から、「天下一の茶人」と号されたこと。利休の卓越性、天才性、そして工夫、研鑽が、それらをして、茶道=千利休というイメージになったのでしょうか? しかし、私はいずれも、時の流れの長きに渡って、道と名の永続性を得るためには小さ過ぎるものであると思うのです。
利休は、晩年に秀吉と対立、終には切腹を命じられて二人の関係が終わるのは周知のところですが、私は、この対立にこそ、利休が他の茶人達と違い、後世に道と名を遺す大きな理由があると思うのです。

現在でも、文化事業には時間と金がかかります。そのために、多くの芸術家などの表現者は、経済的に富裕で、世の中への影響力も大きい人間をパトロンとして求めます。国家的な事業となれば、必要な力はますます大きく、利休の活動は、秀吉のバックアップ無しに実現することは有り得なかったでしょう。実際、利休以外にも、多くの茶人や画家などが、大名のお抱えとして活動を保証されています。
そして、利休が他の茶人たちと違っていたのは、こと茶道に於いては、その恩人でありパトロンである秀吉に対しても、一切の妥協をしなかったという一点です。この時代、パトロンと正面切って対決した人物は、他にありません。せいぜい、ひとり毒づいて、山野に隠れ住むくらいのものでした。
秀吉が茶室で戯れをして、利休がそれを無かったこととして平然と無視したのは有名なエピソードですが、これ以外にも、秀吉に対して利休は、茶の湯に関しては、「あなた如きが、私と対等にものを言ってもらっては困る」という態度を取り続けます。侘び茶の観念も、豪華絢爛、金ピカ派手派手の秀吉のやり方を対比として、そうした表面的な贅沢よりも、もっと素晴らしい内面世界がちゃんとあり、それが私の侘び茶であるというのを、利休の創した茶室が物語っているように思えます。意地の悪い見方をすれば、利休は、最初から、その侘び茶の観念が表現したいがために、秀吉を成金の俄か茶人に仕立て上げた、ともとれます。

ここまで読んで頂いた皆様は如何でしょうか? ご自分のパトロン、良き理解者であり、スポンサーでもあり、よい人ではあるが、その分野に関しての理解度、研鑽は今一つという人物に、満座の中で面と向かって、「あなた、私の前で解かった風な口きいてもらっちゃあ困りますね」と言えるでしょうか(笑)。
私は、揉め事を推奨して書いている訳ではありません。書きたい事、言いたい事は、自分の追求するものに対する姿勢、気概なのです。
では、皆様が、傍観者の立場からご覧になったら如何でしょう。「御用学者」、現代では、「提灯〇〇」といった言い方もありますが、これは、かなりの皮肉を含んだ言葉です。アイツは、誰々がいてくれたから、ああ成れたんだ。そんな、おもねる人間だと思われている者の表現するものは、いかに素晴らしくても、道などとしては遺らないでしょうし、その人の名前もその他大勢に埋もれていくでしょう。
己の追求する分野に関しては、庇護者と言えども妥協せず許さない。これは、実は表現者にとっては、キモといっていい重要事項なのです。

しかし、そうなると、パトロンも伝家の宝刀を抜かざるを得ません。「どっちが親分か解からせてやる」ということですね。ことに秀吉とっては、茶の湯=己の、つまり日本の政治の一部ですから、自己の権威低下は絶対に避けねばなりません。秀吉の利休に対する難題は、こうして突き付けられたものです。勿論背後に、堺と博多の商人の主導権争い。秀吉配下の、尾張派と近江派の勢力争い等、色々な事象が複雑に絡み合ってはいますが、根本的には、「俺の羽根の下で、俺の言うとおり、俺が満足するようにきちんとやれ」ということです。
これに対して、利休は、秀吉のそうした本音の部分は無視して、事実と反することには事例を挙げて説明し、感情的な言い訳は一切しませんでした。「どうぞやりたいようになさって下さい、でも、私を思ったようにはできませんよ」という訳です。
この頃になると、秀吉の行動は実に歯切れが悪く、逆に、利休はヤケクソなのかと思う程思い切りよく行動しています。最終的に、利休を殺すことを視野に入れなければならなくなると、秀吉は明らかに困惑し、正妻の北の政所や徳川家康に嘆いたという記録があります。そして利休は、北の政所から、とりなし役を引き受けるから、という知らせが来ても、「私には、おとりなし頂くようなことは何一つない」と、これを拒絶し、自身の死を確定させるのです。

もし、この段階で、利休が命惜しさに秀吉の袖にすがったら、やはり、利休はその他大勢になってしまっていたことでしょう。これも、意地の悪い見方ですが、最終段階で、利休は自身の死が侘び茶に於いてどういう成果をもたらすか、ということに気が付いていたのではないでしょうか。
この、自身の死によって利休は、己の「情熱、努力、工夫、研鑽、克己」が自身の命と等価であるか、それ以上のものであると表現し得たのです。よく、「〜は、私の命です」という言い方がされますが、こうして、それを地でいく人間は滅多にいるものではありません。
当時の人々も、利休の死の本質がそこにあることは気が付いていたのではないかと思います。だからこそ、茶道は時を超えて、日本の伝統の流儀の一つとして確立し、千利休の名を現代の私達にまで広く知らしめているのだと、私は確信しています。

私が、本質的に同じタイプの人物だと感じる人間が、英国にもおります。ジョージ・ブライアン・ブランメルです。
今日に至るまで、男服の基本概念を確立したといわれるブランメルは、その身嗜みによって、時の英国々王ジョージ四世に見出され、王の側近となりましたが、やはり、その身嗜みに関しては、パトロンであったジョージ四世に対しても妥協せず、時に辛辣でありました。肥満した王に、「おい、ビッグベン、従者を呼べ」などと言ったのは伝説であり、事実ではないと思いますが、その伝説の元になるような、時にはかなり際どい物言いはしたのではないかと思われます。

ブランメルの時代というのは、それ以前の絢爛豪華で色も多彩、デブが偉そうに見える男服が消えていく頃。ブランメルが纏った衣服は、黒やブルーに白というモノトーンに近い組み合わせで、素材を吟味し、仕立ても身体にフィットするものでした。やはり、身嗜みに「情熱、努力、工夫、研鑽、克己」を必要とする服装で、絢爛豪華を背景にその対比として登場してきた点は、利休と共通するものがあります。
利休も、常に墨染めの衣に宗匠頭巾でしたし、この二人が、「Simple is beautiful.」を胸に持っていたことは間違いないと思います。

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ジョージ・ブライアン・ブランメル

ブランメルもやがて、ジョージ四世と訣別することになりますが、落ちぶれて借金苦に喘ぐブランメルに、ジョージ四世は、カーンの領事職を世話しようと手を差し伸べます。喘ぐという言葉は、ブランメルに失礼でした(笑)。きっと、「別に喘いでなんておらんよ」と言われてしまうでしょう。もし、ここで、ブランメルが差し出された国王の手を握ってしまったら、おそらく、ブランメルの名は今日まで遺らなかったでしょう。差し伸べた手を払い除けた台詞のニュアンスがまた、利休にとても似ているのです。曰く、「そんな役職は存在自体が無駄だ」(笑)。
これで、ブランメルは投獄されることになり、その晩年は、傍観者の立場から見れば、惨めで寂しいものでした。しかし、これによってブランメルは、彼が追及したものが、今日なお彼を始祖とするものだと仰がれる名を手に入れたのです。

利休とブランメル。この二人は、何かを創造する人間、表現する人間に、二つの啓示を与えていると思います。それは、「徒手空拳で、己の能力と才能だけで世に何かを為そうというものは、最大の協力者にこそ妥協してはならない」ということと、「それによって生じる自己の破滅を逃れようとしたら何事も為せない」ということです。自分が大切に思うことを貫くということは、時にそうしたリスクをも伴うものなのです。
そんなものに何の意味がある、と思われる方もいらっしゃるでしょう。確かに、そういう見方もあり、いや、世の中ではそういう見方の方が多数派なのでしょう。しかし、ならばバイロンのような人間が、「ボナパルト(ナポレオン)になるより、ブランメルになりたい」などと評するでしょうか。
やはり私は、日々、つつがなく行きたいと願う反面、利休とブランメルのような生き方もまた、立派なものだな、と感じざるを得ませんし、そういった気概を持って生きたいものだと思うのです。

利休の辞世、
「堤る我得具足の一太刀今此時ぞ天に抛」
お読みになれるでしょうか?
「ひっさぐる わがえぐそくのひとつたち 今この時ぞ天になげうつ」
この辞世に、皆様は何をお感じになるでしょうか?
そして、ブランメルがもし、利休の創った茶室にいたら、そこに何を感じるでしょうか?
霜月初め、薄茶の苦みと甘みを噛みしめながら・・・。

あし・アシ・足。

私の足は、不経済な足なのです(笑)。
足の形はギリシャ型で、英国サイズで6くらい。幅はBあるかないか。おまけに、自転車だのボクシングだのダンスだのと、爪先を使うスポーツをしますので、土踏まずの抉れが異様に深いのです。英国の某JCで初めて誂えた折に、J・カーネラ氏が私の足の外周をなぞり、それから土踏まずをなぞる時に、三度、もっと抉ってくれとリクエストしました。が、仮縫いの時に、彼曰く「もっと抉った方がいいな」・・・(笑)。
なので、やりたがりで自己顕示欲の強い靴屋に任せると、かのガジ・ガリも恐れおののくようなクビレまくった靴が出来上がってしまいます。一部の方(最近は大部分でしょうか?・笑)は、泣いて悦ぶかもしれませんが、私はああいった、女性のパンプスじみた、女が履くのか男が履くのか判らん様な靴は大嫌いなのです。ああいったものをエレガントだとか、美しいという人の気が知れません。言い方は悪いかもしれませんが、欧米や日本で、ある一定の身分以上の方が集まる場所では、そんな極端な靴を履いている方を見たことがありません。
その点で、靴というのは難しいアイテムだと思います。きちんと手入れがされていなければ、だらしない印象になってしまいますが、造作も手入れも、やり過ぎると全体のバランスを一番崩しやすい代物です。靴ばっかりが目立っても仕方がないですからね。「過ぎたるは及ばざるが如し」を地でいくアイテムだと思います。

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かの公爵様ですら、素材・色はともかく、あんまり極端な形の靴はお履きになっていらっしゃいません(笑)。

少しお話の方向がズレましたが(笑)、革靴はまだいいのです、誂えがありますから。私が本当に苦労しているのは、実は、スポーツシューズなのです。国内で販売されている性能の良いものは、まず、足に合いません。アメリカでは、大きさの点でサイズがなかなかありません。欧州に出かけた折に購入してきますが、やはり、スポーツシューズは、日本かアメリカがよいような気がします。明らかに造りや材質が一段違います。特に、サイクルシューズは、欧州の本社のものより、日本のOEMの方が、全ての点で数段上を行きます。
私が、こうした日本のスポーツシューズの恩恵を得る為には、インソールを別注し、足にテーピングを施し、薄手のソックスの枚数で調整したりすることが必須です。それでも、ジョギングなどがハードになると、時折、親指や中指の爪が、真っ黒になります。爬虫類が脱皮するように、爪を何枚も取り換えているのは、私くらいのものではないでしょうか(笑)。

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こういう視線で人を見る方、そう多くはいらっしゃらないと思うのですが・・・(苦笑)。

所謂、ダンビロの足で、革靴がカッコよくないと嘆く友人は、「いいなぁ、細い足で」などとのたまいますが、なに、君の足元なんぞは、他人は君が思っている程に見ていやしませんよ。しかし、あなた達は、ジョギングする時に憂鬱な気持ちになんてなったことが無いでしょう? 足については、私の方がよっぽど何倍も気の毒なんですよ(笑)。

過去の記事に加筆致しました。

いつもご高覧頂きまして、ありがとうございます。

以下の二つの記事に加筆致しました。


2010年4月18日 老いて益々・・・。       2011年9月17日加筆

2008年8月15日 うろたえないメンタル。    2011年9月24日加筆
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