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夜会服 きつつなれにし・・・。

最近、季節がらフォーマルシーンが目立って増えて参りまして、私も、夜会服を装う機会が多くなりました。
華やかで、端正で、シンプルで、私は夜会服が大好きです。
しかしながらそれは、悲しいことに日本人男性がもっとも苦手とする装いではないでしょうか?
堅苦しい、気恥ずかしい、面倒臭い等々、敬遠する理由は多々ありますが、つまるところ自身の照れと、自信の無さに極まるのではないかと思われます。
しかし、本当にフォーマルウェアは、気詰まりな気の重い装いなのでしょうか? 私はそうは思いません。黒と白のシンプルなフォーマルウェアは、スーツのようにコーディネイトに迷ったり、個性の発露に悩んだりする必要もありません。突飛なことをせずに、きちんと着こなそうとすれば、誰でも端整に見せてくれる装いなのです。
ロジャー・スミスは言いました。「並の男でもフォーマルな服装に身を包めば、並はずれて見えるもの。但し、彼がはじめから人並ならばだけれどね。」つまり、ロジャー・スミスの論理に従えば、並み以下の男でも人並みに見える装いの筈なのです(笑)。
もちろん、シンプルであるが故に、中身の人間性が顕れてしまう。更に、それが故に本当の意味で着こなすのは難しい、といったことはあるでしょう。
しかし、まず着ることです。楽しんで着ることなのです。入門者である筈なのに、達人の心境と技術を慮るのは、日本人の最も悪い癖だと思っています。

今の季節からは、ナイトイベントが多くなります。食事も美味しくなり、音楽の演奏会も増え、友人達やパートナーと夜会服を着て出かけるのは素敵なことではありませんか!
ここでいう夜会服とは、ブラックタイとホワイトタイのことですが、現在、まず一般にあるフォーマルシーンは、ブラックタイ、所謂タキシードを装うものでしょう。私は仕事柄、ホワイトタイを装う機会がありますが、年に数度といったところです。
日が落ちてからドレスアップするという習慣は、もう300年に渡って西欧で続いてきたものです。その趣旨は、祝い事や敬意、親愛の情を表するために特別な装いをしよう、ということなのです。
ですから私は、パーティーシーンだけでなく、もっとも愛する演奏を聴きに行く時、もっとも愛する店に行く時、もっとも愛する者と特別な時間を持つ時、もっとも愛する友人を祝福する時に、その気持ちを表現するためにも、時にはブラックタイを装います。それが、一人でも大勢でも構いません。

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上の写真は、私のディナーコートです。六つ釦のダブルブレステッドで、生地はミッドナイトブルーのバラシアを使って仕立てられています。本当は、装った写真があるとよいのですが、パーティーシーンでそんなことを考えていては楽しめませんし、おもてなしもできませんので、悪しからず(笑)。この写真は、このディナーコートを仕立ててくれたN氏のお店の、イベントのディスプレイにお貸しした時のものですが、ボウタイ以外はすべて私のものです。因みにボウタイは、かのT&Aのものですが、私が結ばせて頂きました。
ブラックタイの上着には、タキシード、ディナージャケット、ディナーコート等々、いくつもの名称があり、すべて同一のものを指すとする説、厳密にはすべて違うものであるという説はじめ、喧々諤々諸説ありますが、私は、その呼び方にはそんなに重きをおきません。こと現代においては、装う方がお好きな名称で呼べばよいことだと思っています。
私は、ディナーコートという英国式の呼び方の一つが好きなのです。それには、一応理由がありまして、私は、ディナーコートを誂える生地は、スミス・ウールンズという生地会社のミッドナイトブルーのバラシアと決めております。スミス・ウールンズは、数少ないロンドンの生地商で、最近では映画の007に生地を提供したことなどが話題になっていますが、ロンドンという都会の生地商らしく、フォーマル用の生地のクオリティが素晴らしいのです。
ミッドナイトブルーが、本当に「白熱灯の下では黒よりも黒く見える」真正のもので、しかも、スーツ生地にはない端正さを生地そのものが持っているのです。
そんな生地で誂えたならば、ちょっと英国式に呼んであげたくなるのも人情というものではありませんか(笑)。
スミス・ウールンズは、ウェイトのある梳毛スーツ生地や、カシミア混の細番手スーツ生地、ツイード、夏のモヘアなど、何を扱わせても独特の特長を伺わせる素晴らしい生地会社ですが、その真骨頂は、やはりフォーマル用の生地にあると思うのです。ロンドンの粋、が感じられます。

クリスマスに向かって、夜のイルミネーションに彩られていく街に、ブラックタイで出かけてみませんか? いっぱいの薔薇の花束を抱えて、満面の笑みを浮かべて、自分の一番大切な人と素敵な夜を楽しむために・・・。
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最も崇高な色。

世の男性の装いに、はじめて黒を一般化したのは、19世紀末の英国の詩人でありイラストレーターの、オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーだと言われています。病弱な彼は、その早い晩年に結核を患っており、自らの悲観的な将来を皮肉って黒の服を着たとも、また、彼の作風である白黒のペン画のプロモーションのためだったとも言われています。

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オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー

歴史的に、男性の礼装に黒を持ち込んだのは、エドワード・ブリュワー・リットンとされています。あの、リットン調査団のビクター・リットンの祖父にあたります。政治家であり、小説家、劇作家でもあった彼は、当時有数のダンディであり、失意に打ちひしがれた男性をロマンティックに演出しようとして、夜会服に黒を用いたのでした。
しかし、黒い服を英国上流社会で隆盛に導いたのは、なんといってもジョージ・ブライアン・ブランメル、通称ボゥ・ブランメルでしょう。当時皇太子であったジョージ四世の側近として、英国社交界の寵児となったブランメルは、英国郷士の身分であり、上を貴族階級、下を台頭しつつあるブルジョアに挟まれて、思想や価値観においてその上下と戦わなければなりませんでした。
伝統的な装いでは王族や貴族に一日の長がありますし、消費できる金銭ではブルジョアに敵いません。そこで、彼がとった戦略が、ビアズリーが後に持ち込んだモノトーンの装いの華麗なるベースとも言える、攻撃的な消去法です。
ブランメル以前の王族や貴族の装いは、今日の私達のイメージで言えば、デュマの「三銃士」の貴族や王族のものに近いものでした。模様や色柄が多く、締まりが無くなりがちな構成を、その家その家の歴史的経験値で洗練させ、また、王族や貴族に多くみられる肥満が「貫禄」にみえるようなシルエットでした。
そこに、ブランメルは、現在のテイル・コートやモーニング・コートの装いに通じる、乗馬服をベースにした身体にフィットしたモノトーンの服装を持ち込んだのです。
色や装飾を極限まで排除してしまい、その代わりに生地などの素材の質そのものを吟味し、身体に完璧にフィットするように仕立て、服そのものの機能美とともに白い和紙に書かれた墨筆のような美しさを表現したのです。
この服装は、肥満していると似合わないために、克己心が無い人間には着こなせません。更に、自らの体型、用いる生地の質、仕立て方や手入れの仕方、また、着用した場合の所作などを総合的に分析する、その個人そのものの知識、経験、勤勉の深さが装いに顕れてしまうので、歴史的な有形、無形の遺産を継承している王族、貴族であっても、本人に勤勉さや克己心が欠如していればできない装いですし、まして、金銭を消費するしか能の無いブルジョアには到底不可能なことだった訳です。
昭和から現代に於ける、日本のサラリーマン達の多くのスーツの着方、「皆と同じ」「目立たない様に」といった消極的な消去法と比べると、いかに攻撃的な装いであったかがお解りになるでしょう。

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ジョージ・ブライアン・ブランメル

私は、このモノトーンの装いが、現在も礼装として、男性の最も崇高な装いとして存在するのは、二つの大きな理由があると思います。一つは、「全ての無駄を取り除いていけば、最後に残ったものが最も価値があるものである」と考える、欧州独特の思想です。錬金術の蒸留もこの考え方に基づいていますし、サー・アーサー・コナン・ドイルはシャーロック・ホームズ氏に「全ての無駄を取り除いて残ったものが、いかに信じ難い事であっても真実なのだ」と言わせています。ブランメルの攻撃的消去法によるモノトーンの装いは、この欧州人達の琴線に触れたのです。だからこそ、閉塞的な思想の上流階級の人間も、それとは反発する新興階級の人間も、こぞって彼の軍門に下ったのでしょう。
二つ目は、女性の装いとの完全な差別化です。このことにより、女性をより華やかに見せるという実質と、騎士道精神的に女性をサポートするという大義名分がその装いに生まれます。この時代は、女性の活動や思想が表に出てくることは稀ですが、実は、社交界などでは、有力な女性の意見にはかなり大きな力があり、女性の支持が得られるかどうかが社交界における成功の秘訣でした。また、人口の半分は女性であるという数値的な問題でも、女性達の支持を受けるということは極めて重要な事でした。
装いにおけるブランメルの最も非凡であったのは、この二点に着眼した(例え結果論であっても)点にあると思います。その歴史を経ても色あせない影響力は、現代の日本でも、男性のスーツスタイルのアンケートでは、「濃紺のスーツが好き」と答える女性の数が圧倒的に多いということでも裏付けられています。

さて、その黒という色ですが、ブランメルやビアズリーの頃から、黒をより黒らしく見せるための工夫が続けられて来ています。
何ものにも染まらない黒ですが、人間の眼には光線の具合によって、様々なトーンに変化して見えてしまいます。太陽光の下では緑色に見えたり、白熱灯の下では染め方、織り方により、赤茶けて見えたりやはり緑がかって見えたりします。こうした条件下でも、黒を黒として見せるために、数十種類の「黒」が存在します。加えて、人間には表情や体型によって、合う色と合わない色がありますから、その人の人となりに合う「黒」が工夫され、生地に於ける黒という色の種類は増えていったのでしょう。

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真正ミッドナイト・ブルーのディナー・コート

ブリティッシュ・カウンシルに規定されている黒という色は、四十種類弱あります。また、オックスフォード・グレイと言われる最も濃いグレイは、昼の礼装が太陽光の下でより黒らしく見えるための色ですし、以前の項で書かせて頂いた、ミッドナイト・ブルーも、夜の礼装が白熱灯の下でより黒く見えるようにと作られた色です。
注意しなくてはならないのは、これらの色は全て「黒」だということです。オックスフォード・グレイは、グレイでなく黒であり、ミッドナイト・ブルーもまた、ダーク・ブルーではなく黒なのです。黒なのですとわざわざ書く理由は、「黒として扱わなければならない」ということと、「特定の条件下での黒」だということです。例えば、オックスフォード・グレイは、太陽下でより黒く見せるための色ですから、夜の礼装でこの色を使うことは「基本的」にはNGです。同様に、ミッドナイト・ブルーも、白熱灯下でより黒く見せるための色ですから、昼の礼装にこの色の生地を用いるのは、やはり「基本的」にはNGですね。しかし、「基本的」にであって、してはならないと申し上げているのではなく、なさる場合は一種の「チャレンジ」であると自覚する必要があるということです。そう、ダーク・スーツにこげ茶のバックスキンの靴を合わせた、ウィンザー公のように・・・。男性の装いには、そうした反骨を敢えてする、という楽しみ方もあるということです、リスクはありますが(笑)。そして、スーツスタイルは、ブランメルの頃からそうした反骨を内包した男性の装いなのです。
この反骨の要素があったからこそ、現代に繋がる黒をベースとした男性の装いは、やがて英国に訪れる質素と質実剛健を美徳とするビクトリア時代の、フレイザーやサッカレーといったカウンター・スノビズムを旨とした新興紳士階級にも受け入れられ、摂政時代には、華麗なる上流階級の男性達の「粋で伊達」な装いの色であった黒は、ビクトリア時代の新興ビジネス・サクスィーダー達には、尊敬すべき男の「品格」ある装いとして受け入れられたのです。
それ故にこそ、無知からくる失敗ではなく、熟知した上での冒険なのだというアピールは、自分の安全のためだけではなく、周囲への配慮として、大人の男性として不可欠なものではないでしょうか?
昨今、アパレル関係の方達が、メディアでよく語られる男性のスーツスタイルに於ける「ほんの少しのアク」とか、「一滴の毒」というものは、その根幹をこうした反骨精神に置いた「男のささやかな抵抗」であって、上司と食事をする際に右へ倣えのメニューしか選べないような男は、アクだの毒だのということは考えてはいけない人間だと自覚すべきでしょう。

また最近は、特定のセレクトショップや仕立て屋さんで、ミッドナイト・ブルーやオックスフォード・グレイが小さな流行になっていますが、それに流されずにご自身に合う「黒」を見つけて頂きたいと思います。礼装用の黒一つとっても、生地の織り方でさえドスキンやバラシア、ベネシャン等々、たくさんありますから、是非とも、表情、体型、活動の仕方など、よくよく吟味された上で、ご自身に一番お似合いになる「黒」を探し当てて頂きたいものだと、心から願っています。ブランメルの頃から現在に至るまで、男性のもっとも崇高な色なのですから。

ミッドナイトブルーの悲劇。

ミッドナイトブルー、どんな色だかご存知でしょうか?

この色がどんな色かご存知ない方達が、夜明けの空やコバルト・ブルーのような色をミッドナイトブルーと称して、物語や商品を作られたりしているのを見ることは、大変嘆かわしいことです。

ミッドナイトブルーとは、「夜間照明の下で黒に見える極めて濃い紺」の事であって、白熱灯の照明の下では黒、日中や蛍光灯の下では、青みがかった黒または黒と見分けがつかないほど濃い紺に見える色のことです。

そもそも、テールコートやディナージャケット(タキシード)などの、男性の夜の礼服に使われる黒の生地が、夜間照明(白熱灯)の下では緑や赤みがかって見える事から、より黒らしく見せる為に織られた生地の色で、英国国王エドワード8世(後に退位してウィンザー公)が皇太子時代に生地生産者とテーラーに提案、採用したと「言われて」います。

色の名前なんてどうでもいいと思う事も出来ますが、この色は男性の装いにとっては特別な色で、世の男性が洋服として身に着け得る最もエレガントな色なのです。私は、そのエレガンスと崇高さを理想と仰ぎ、この色の名前をハンドルネームに頂いています。

そんな私の立場からしますと、イメージでビジネスをなさるのは自由な事なのですが、せめて名称の来歴故事くらいは調べられて、あまりにいい加減な悲しいこじつけはして欲しくないと痛切に思うのです。
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