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装いと所作。

昨夜、新宿御苑の森の薪能に初めて行って参りました。薪能自体は初めてではありませんが、会場の広大さと、周囲の木々の鬱蒼としたことは、やはり御苑が一番ですね。装いとは直接関連が無いようですが、能と言えばその秀麗で幽玄な所作から生まれる衣擦れの音も重要な構成要素、ということでちょっとこじつけっぽいですが(笑)・・・。

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演目は、「安宅(所謂、勧進帳の場面です)」と狂言の「舟ふな」を挟んで、「殺生石(九尾の狐の話として著名ですね)」でした。役者さんも、観世清和さんや観世銕之丞さん、野村萬さん、野村虎之介さんに、「安宅」の義経役で観世流の未来を受け継ぐ、八歳の観世三郎太さんなどなどのそうそうたる顔ぶれでした。

私は、源義経が嫌いなので、勧進帳があまり好きな演目ではないのですが、能は歌舞伎と違って、舞台と楽の全体的な調和を楽しむものなので、違った視点でとても楽しめました。

間に狂言を挟んで、殺生石です。緊張した能の世界から、ふうっと肩の力が抜ける狂言は、やはり、能の演目の間に無くてはならないものですね。力が抜けた分、余計に次の演目に対する緊張も矯め直されます。殺生石は、物語としては金毛九尾の狐が那須与一に射落とされて、今も栃木県那須に現存する殺生石になったという、とてもよく知られている怪異談がベースになっており、射落とされた殺生石に残る狐の魂がその過去を語り、供養されて成仏するという筋立てです。狐の怪異談は、私の最も好きな文学の一つなのですが、それはそれとしても、やはり現代人の我々にとっては、幽遠な薪能には幻想的な異界の物語が最も合っていると思うのですが、いかがでしょうか?

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それにしても、感動的に素晴らしいのは、能衣装をまとう役者さんの所作の美しさと、舞台全体の調和の美しさです。どれか一つが過度でも、足りなくても崩れてしまう完全な調和には、おおいに学ばされるところがありました。装いには、それに合った所作が必ずあります。能衣装に限らず、一般の方が時おり身に付ける和服であっても、和装は装いに対する所作の重要性が顕著です。それと同様に、洋装にも必ずその装いと装う人に合った所作というものが有る筈です。装うものにあった所作と、装って行く場所での調和、心がけて磨いていきたいですね。
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イングリッシュガーデンの装い。

今日、クラシックと言われて日本の男性に好まれる幾つかのスーツスタイルがあります。グラントやゲーブル、アステアのハリウッドスタイルや、アイビーなどの日本でトラッドなどと呼ばれるものなど、そして近年騒がれて沈静しつつあるイタリアン・クラシック。しかし、その全ての底流に英国のメンタルが強く息づいている事を否定できる方はいないでしょう。男性の洋装が、常に英国のメンタルを基調としているのは、いったいどうしてなのでしょう?

私は、その答えはイングリッシュ・ガーデン、すなわち英国風庭園の仕立て方に見ることが出来ると思っています。英国の庭は、たとえ最近手に入れたものでも、数代前から相続した庭のように誂え、また、細心の労力を払いながらも、過度に手を掛けず自然のままに見えるような「演出」を心がけます。どうですか?まるで男性の装いの心がけのようでしょう?

スーツスタイルと庭園造営、その両方に共通する誂えの精神は、血統と呼んでもよい、伝統と普遍性への尊重と憧れであると思います。いかにも自然に昔からそこにある、ということは、そこに存在する正当な権利と資格を持っているということを静かに主張しているのです。

英国の乗馬服や軍服から発生したテールコートやモーニングコートを先祖に持つスーツは、その歴史が詳らかな事に非の打ちどころの無い男性服と認知されています。また、スーツにデザイナーやモデリストは存在しません。優雅なる貴族や閑人が自分の馴染みの仕立屋に誂えさせて積み上げ、確立してきたスタイルであり、うつろい易いシーズンごとのデザインとは違うのです。彼らの趣味やイマジネーションが優れていたからこそ、永きにわたって男性の「きちんとした」服装として認知されてきたのです。歴史とともに、その血統、伝統においても全く非の打ちどころが無い男性服なのです。そうした伝統と普遍性が、スーツスタイルという服装の持つ一つのパワーと認識されているからこそ、多くの国々の男性が準正装、或いは日常の盛装として着用するのでしょう。

しかし、伝統と普遍性を持った服装は、着用する人間にも或る種のインテリジェンスを要求します。美意識や見識といったものがそれでしょう。成り金といわれる方たちの服装や、それよりは地味であっても晩年退職金太りした方たちの多くが、「なぁ~んかねぇ~。」という装いなのを思い浮かべられるとおわかりでしょう。「伝統は学んで身につくものではないし、復縁したいと思ってもできるものでもなく、自分の家の血統以上のものである。伝統を持ち合わせないので身につけたいと願うものは、愛に飢えているようなものである。」と言ったのはヴィトゲンシュタインですが、全く的を得た言葉でしょう。物品が関わる事だけに、金銭は必要事項の一つではありますが、決して絶対的なものではありません。

特に装いについて言えば、日本の男性は、多くが大学を卒業した22~23歳くらいになって初めてスーツを着用するという点で、経験値に大きなハンデがあります。父親や祖父も似たようなスタートであれば、「受け継いでいくスタイル」というものにも期待はできないでしょう。しかし、自分一代で始めたとしても、美意識と見識の磨き方によっては英国庭園のように「何代も前からそこにあったような自然さ」を確立する事は可能なのです。経験値や伝統の不足を自覚しつつも、あまり過度な劣等感を抱かずに、周りの人たちに好感を抱かせる自分らしさの陶冶に努力して頂きたいものです。

ポール・キアーズは、その著書の中で、

Town dress is a clear indication of a man's position in life ; his tie reflects his background, his suit reflects his income, and his shirt and shoes reflect his appreciation of both tradition and good taste. (タウン・ドレス=スーツスタイルは、着る者の社会的立場を明確に反映するもの。つまり、締めているネクタイは育った環境を顕し、着ているスーツは収入を、履いているシャツと靴は伝統と美意識への正しい理解度を顕しているものだ。)とでも訳しましょうか。

と述べていますが、色の選択の自由度の高いネクタイが趣味の良し悪し、時間と費用のかかるスーツは金銭的余裕だけでなく、価格に見合ったきちんとしたものを選んでいるか、そして、手入れの要るシャツや靴を伝統や美意識の理解度と顕すと言っているのです。なんとも、実に深くまた憎い表現ではありませんか(笑)。

男性の装いの底流に常に存在する英国のスタイルとは、服のディテールなどではなく、そのメンタルにあるのです。
我々も、英国の5月の庭園のような自分らしさを身につけたいものですね。

ミッドナイトブルーの悲劇。

ミッドナイトブルー、どんな色だかご存知でしょうか?

この色がどんな色かご存知ない方達が、夜明けの空やコバルト・ブルーのような色をミッドナイトブルーと称して、物語や商品を作られたりしているのを見ることは、大変嘆かわしいことです。

ミッドナイトブルーとは、「夜間照明の下で黒に見える極めて濃い紺」の事であって、白熱灯の照明の下では黒、日中や蛍光灯の下では、青みがかった黒または黒と見分けがつかないほど濃い紺に見える色のことです。

そもそも、テールコートやディナージャケット(タキシード)などの、男性の夜の礼服に使われる黒の生地が、夜間照明(白熱灯)の下では緑や赤みがかって見える事から、より黒らしく見せる為に織られた生地の色で、英国国王エドワード8世(後に退位してウィンザー公)が皇太子時代に生地生産者とテーラーに提案、採用したと「言われて」います。

色の名前なんてどうでもいいと思う事も出来ますが、この色は男性の装いにとっては特別な色で、世の男性が洋服として身に着け得る最もエレガントな色なのです。私は、そのエレガンスと崇高さを理想と仰ぎ、この色の名前をハンドルネームに頂いています。

そんな私の立場からしますと、イメージでビジネスをなさるのは自由な事なのですが、せめて名称の来歴故事くらいは調べられて、あまりにいい加減な悲しいこじつけはして欲しくないと痛切に思うのです。

懐かしのアランセーター。

私は、アランセーターが好きなのです。アランセーターをご存知でしょうか?名前をご存じなくても、浮き出すように縄編みの柄が入った分厚い白いセーターといえば、「あぁ!」と思って頂けるのではないかと思います。

アランセーターは、アイルランドのアラン諸島の女達が、漁に出る男達の豊漁と無事を願って編むセーターで、凍てつくような冬の海の寒さから身を守れるように、分厚く暖かく編まれています。素朴で独特な編み柄は家々によって異なり、漁で不幸にも水死しても、その柄によってどの家の男だか判るため、ともいわれています。

男の装いには、優美さもさることながら、実用性と歴史的な物語が不可欠といわれますが、このアランセーターほど切ない想いが込められ、それでいて暖かい服は無いのでは?と思います。優しく柔らかな面立ちでいながら、極寒の海にも負けない防寒性を持つ。私自身も、いや男たるものかくの如き強さと暖かさを持ちたいものではありませんか(無理かもしれませんが・笑)!

近年、日本の女性にも人気のあるアランセーターですが、夫の、息子の、家族の安全と豊漁を願ってひと目ひと目模様を編むアラン諸島の女性達のひたむきな気持ちが、同じ女性達の心を捉えるのではないでしょうか。

涼しい風が吹く頃になると、色々な冬の装いが頭に浮かびますが、今年もアランセーターを着て木枯らしの中を元気に闊歩するつもりです。

ダブルノット。

ダブルノットというネクタイの結び方があります。フォーインハンド(プレーンノット)より一回多く巻くことから、こう呼ばれているようですが、私は知りませんでした。

どうも、90年代中盤に日本で興ったクラシコ・イタリアというイタリアの高級既製服のブームともに認知された名前のようですが、当初は聞いた事のない名前で、「どんな結び方なの?」と友人に尋ねてみたりしました。聞いてみてビックリ、「なんだ、プリンス・アルバート・ノットじゃないか!」と。別に、イタリア南部を出すまでもない、欧州ではごく普通に知られた結び方でした。正確な話ではありませんが、上記の服を扱うセレクトショップの方にこの結び方を教えて貰った雑誌社の編集さんか、ライターさんが付けられた名前だとか?

プリンス・アルバートとは、ビクトリア女王の夫君であったアルバート公のことで、息子のエドワード七世とは対照的に、当時は落ち着いた保守的な装いで知られていた方で、ジャケットのラペルやベストのボタンホールから垂らす銀の鎖が、その名を冠した「アルバート・チェーン」として有名です。プリンス・アルバート・ノットは、このアルバート公の考案と『いわれて』いるネクタイの結び方です。『いわれて』というのは、ウィンザー・ノットと同様にアルバート公が考案したという確たる証拠は無いのです。

伝統的な男性の装いには、その正統性を裏付ける歴史や物語が必ずあるものなのです。ですから、ダブルノットと呼ぶよりも、やはりプリンス・アルバート・ノットと呼びたいものですが、このプリンス・アルバートという呼び方には、最近別の下世話なものの呼び名にも使われています。「アルバートチェーン」から派生したと思われますが、男性のシンボルの先端に付けるピアスが、プリンス・アルバートと呼ばれているのです。ん~、なんか、やっぱりダブルノットでもいいかな?なんて思ってしまいませんか(笑)?

因みに、プリンス・アルバート・ノットとダブルノットにも細かな違いはあります。前者が、普通に結んで絞って形を整えるのに対して、後者は、あまり絞らずに結び目が四角になるように結んで、その結び目の上からクッとつぶします。亜流やアレンジがとても多いのも、このノットの特長なのですが、どのように締めるかは、お顔の形やスーツのスタイル、シャツの襟の形や大きさなどとよ~くご相談なさって下さい。
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