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カシミア・カシミア -1-。

三つ前の項で予告(? 笑)させて頂いた、カシミアの生地がやってまいりました。
濃紺、ヘリンボーン地の、俗に申します、ウーステッド・スパン・カシミアです。
スコットランドの生地屋さんの生地で、「私の仕立て屋さん」N氏をMy dear Friend.と呼ぶ、社長さん自らN氏のお店に届けて下さいました。

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カシミアの手触りとぬめりのある光沢をもちながら、カシミアとは思えないしっかりとした打ち込みで、ウエイトもあり、生地を親指と人差し指でつまんで、力を入れてグリグリとやっても全く毛羽立ちません。
「最上級の原毛のみが、最高級の服地を産むことができる」という、この生地会社の創業者からのフィロソフィーが体感できる生地だと思います。
原毛の選択から、染色、梳毛そして生地が紡ぎ上がるまでの工程を、ほんとうに手を抜くことなく、まじめに作り上げたのでしょう。
90年代に、イタリアの高級既製服のブランドが一時多用した、カシミア用スーツ生地とは、比較するのも失礼なくらい次元の違う質の生地です。光沢や生地の滑らかさに人工的なものが全く無いのです。

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濃紺の色合いもトーンもちょうど良く、光線の具合によって浮き上がるヘリンボーンがシャドゥストライプのようで、生地自体が一つのエレガンスを持っているようです。
生地屋さんの社長さんが、「N、君はいつも本物の服を作っている、これからもずっとそうであってくれ。私も、常に本物の服地を提供してゆくつもりだ。」とおっしゃった言葉が思い出されます。

仮縫いの時などに、私の身体を撫でながら体型を頭に入れるように、生地を撫でながら型をひきカットしていくN氏の姿や、生地に合わせて芯地を工夫するN氏の顔、そして、私の姿を思い浮かべながら一針一針と縫っていくN氏の姿が今から目に浮かびます。

彼らの真面目でひたむきな研鑽に応えるために、その血脈の結晶を纏う私は、より私らしく、私そのものになるよう努めなければならないと思っています。
そして、服として袖を通した瞬間から、これまでN氏に仕立ていただいた服たちと同じように、着たことすら忘れて町へ飛び出して行くことでしょう。

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新たに拡充したN氏の作業場で、この生地にはさみが入るのはそろそろでしょうか?広く長い作業台の上に、この生地が広げられて裁断されるところは、是非見たいと思っております。
いつもの私の定番のスタイルに仕立てて頂く予定ですが、仕立て上がるのは今年の寒くなる頃でしょうか?
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ストロベリー・アイスクリーム・ソーダ。

私は苺が好きです。
ケーキ屋さんや喫茶店で、苺のメニューがあると必ずといってよいほど、それをオーダーしてしまいます。
苺の赤い色、甘い香り、そして酸っぱさは、私になんとなく少年時代を懐かしく思い出させ、食べた後に足取りが軽くなるような気にさせます。
そのことを知ってか知らずか、私の連れ合いは、私が苺のメニューをオーダーすると「子供みたい」とコロコロ笑うのですが、それを見るのが好きなようでもあります。
けれども、私が色々な場所で苺のメニューをオーダーする本当の理由は、もっとも愛する短編小説に捧げるささやかなオマージュなのです。

ストロベリー・アイスクリーム・ソーダというタイトルのその短編小説は、アメリカ人作家アーウィン・ショーによって書かれたもので、男兄弟の田舎生活の一日が綴られています。
エディという名の主人公は、最近、ニューヨークから物語の舞台となる田舎にやって来たらしいのですが、その理由は書かれていません。田舎生活が嫌で仕方が無かったエディですが、ある女の子と知り合い、出会いの日に誘ったデートにOKを貰って、少しは田舎嫌いが和らいだかに見えます。
エディには、ローレンスという、ピアノがとても上手な13歳の弟がおり、毎日毎日、いつもいつも「一二三四、五」とピアノの練習ばかりしています。その弟のピアノの天分を、ショーは「将来、カーネギーホールの舞台で割れるような拍手に一礼して、テイル・コートの裾を後ろへ押しやりながら椅子に座って演奏を始めると、聴いている男も女も笑い、泣き、初恋を思い出すだろう」という書き方で表現しています。
けれども、弟のローレンスは、ピアノの天分を除けば生っ白い弱々しい少年で、兄のエディは弟の頼りなさを軽蔑していて、そんな時は「ロールレンス!」と、いやに気取って鼻にかかった巻き舌で弟の名を呼ぶのです。
ローレンスは兄に呼ばれると、指を曲げたり伸ばしたりしながらやって来ます。
夏の日、葡萄棚の下の日陰で涼んでいるエディのところに、ピアノの練習を終えた弟が来て言います。
「ストロベリー・アイスクリーム・ソーダが食べたいな」と。
今晩、デートに出かけるエディは、ローレンスにそれを食べさせてやることはできないのです。「デートがあって、35セント持ってる、けれど、今晩彼女がバナナ・スプリットが食べたいって言ったらどうするんだ?」と。
気まずくなった兄弟は、湖へウサを晴らしに行くのですが、その道中もローレンスは機械的に指を曲げたり伸ばしたりしています。エディは、それが嫌で嫌でたまりません。
湖で、兄弟は、誰のものかわからない古びたボートに乗って漕ぎだします。ボートに乗る時に、弟が怯んだり、きちんと靴と靴下を脱ぐのが、やはり兄には気に入りません。
ボートに乗って、エディが弟にオールを渡すと、ローレンスは「僕の手にいけないんだよ、指が固くなるんだ」と嫌がりますが、案の定まともに漕げません。
そんな時に、ボートの持ち主の男が現れて、兄弟を呼びます。男は息子を連れており、見るからに田舎の農夫といった逞しい大男で、無断でボートを使った兄弟に激怒しています。大男の毛むくじゃらで太い腕の筋肉は怒りに震えていて、ローレンスの胸倉をつかむと何度も揺さぶります。
エディが大男に、「あんたが弟とやり合うのはフェアじゃないぞ」と言うと、ローレンスと同じくらいの年に見える大男の息子が、「パパ、僕が相手になるよ」と受けて立ちます。大男は、ゆっくりとローレンスを離して「よし、教えてやれ、ネーサン」と言います。
しかし、ローレンスはネーサンに挑まれても、嘲笑されても、口もきかず身動きもしません。
「臆病者!腰抜け!卑怯者!」ネーサンが更に罵倒しても、ローレンスは動きません。
「どうするんだ、勝負するのかしないのか?」大男が焦れてたずねます。
エディも散々弟にはっぱをかけますが、ついにローレンスには通じませんでした。
絶望と悔しさに打ちひしがれて、エディは大男とその息子のネーサンに背を向けると、のろのろと歩き出しながら言います「弟は勝負しないとさ」。ローレンスは、身体をかがめると靴と靴下をとり、兄の後に続きます。
それを見ていた大男は「ちょっと待て」と兄弟を追いかけて来て、エディを自分の方に向き直らせます。
「なんですか?」エディが反抗的な態度も見せられずに悲しそうに言うと、大男は、「あそこにある家が見えるか?」とエディに言います。
「見えます」エディが答えると、「あれはわしの家だ、あそこに近づくな、わかったか」と命じ、更に、このもめごとの原因になった古びたボートを指差してたずねます。
「あれは、わしのボートだ。あれに近寄るな。さもないとお前らを叩きのめしてやる、いいな!」命じる大男に、エディは誇りを全て失っしまったかのように従って、弟と帰路につきます。後ろでネーサンが、また、「臆病者!腰抜け!卑怯者!」とわめいています。
家に帰る途中、クローバーでいっぱいの原っぱを重い足取りで横切りながら、エディは弟に言います。「臆病者め」、「卑怯者、花みたいに臆病だ、それが僕の弟なんだ」「もしこれが僕なら、人から卑怯者なんて呼ばれるより、いっそ死んだ方がましだ。僕だったら、まず自分の心臓を切り取らせてやる。でも、僕の弟は違う。花みたいに臆病だ。眼に一発くれてやりゃあなあ!たった一発でいいのに!ちょっと見せてやるだけでよかったんだ・・・。でも、弟はおとなしく突っ立ったままで、穴だらけのズボンを穿いた小汚い小僧に悪口を言われている。ピアニストか。ロールレンス!お前をロールレンスって呼ぶ時は、お前を軽蔑しているから、そう呼ぶんだ。僕に口をきかないでくれ!二度とお前なんかから口をきいて貰いたくないんだ!ロールレンス!」
エディは、帰路一度も弟を見ませんでした。そして、湖に行く前に弟と語らった葡萄棚の下に帰りつくと、まだ悔し涙をぼろぼろと流していました。
「エディ!」弟の呼びかけに顔を上げると、ローレンスはドスキンの手袋を念入りにはめているところでした。
「エディ!一緒に来てもらいたいんだ!」ローレンスは、兄を待たずに湖の方へ向って歩き出します。慌てて弟の後を追ったエディは、少し前に重い足取りで歩いたクローバーでいっぱいの原っぱを、今度はローレンスと肩を並べて、二人は軽い足取りで湖の方に向かうのです。
エディが、力強く農家のドアを三度ノックします。ついさっき、大男に近づくなと言われた家のドアをです。ショーは、そのノックの音は、進軍ラッパのような響きだったと書いています。
ドアを開けたのは、息子のネーサンでした。
「何の用だ?」
「ついさっき、お前は弟に勝負を挑んだね?弟は挑戦に応じるよ」
ネーサンがローレンスを見ると、彼は胸を張り、顔を上げて、赤ん坊のような唇をキッと真一文字に結んで、握りしめた拳を覆う手袋には皺が寄っていました。
「さっき勝負すればよかったんだ。もう遅いや」
「きみの方が申し込んだんだ、そうだろう!」
「それは、さっきの話だ。ドアを閉めるぞ」
「だめだ!お前が言い出した事だぞ」
渋るネーサンとやりとりをしていると、父の大男が「どうしたんだ?」と出てきます。
「ついさっき、この男がそこにいる男に勝負を挑んだ」エディは、ネーサンを指差し、ついで弟を指差して、「だから、僕たちはその挑戦を受けて立つことにしたんだ」
大男が息子に「どうなんだ」と聞くと、ネーサンは拗ねたようにぼそぼそと「そのチャンスを見送ったんじゃないか」と答えます。
「息子は勝負したくないそうだ」大男はエディに言い、「帰ってくれ」と言うと、はじめてローレンスが前に進み出て、ネーサンの眼をじっと見つめ、さっき自分が散々言われた言葉を一言だけ言います。「臆病者」
大男は、それを聞くと、「勝負して来い」と、息子をドアの外に押しやります。
「森で勝負をつけよう」ローレンスが言い、二人は5ヤード離れて森へ歩いていきます。
大男は、自宅のポーチに腰をおろし、残されたエディにも座るように言い煙草を勧めてくれます。エディの年齢に関する表現は無いのですが、ここで、煙草はエディにとって初めてだと書かれていることで、おぼろげながら彼の年齢が判ります。煙草を吸いながら、エディと大男が語らっていると、やがて二人の戦士が帰って来ます。往きには5ヤード離れて歩いていた二人は、寄り添って戻って来ました。
エディは、まず敵のネーサンを見ます。口から血が流れ、額にこぶができて、耳は真っ赤でした。それを見て満足そうににっこりしたエディは、弟のほうに近づいていきます。しかし、弟はもっと無残に痛めつけられた顔でした。髪がもつれ、片眼は腫れてふさがり、鼻は傷だらけで鼻血が流れています。ローレンスは、時々鼻血を舌で舐めていました。シャツの襟はちぎれ、ズボンは泥だらけで、むきだしの膝小僧をすりむいて、痛そうでした。
けれども、塞がっていないもう一つの眼は、きらきらと輝いて、ついさっきまでの弟には見たことのない、男らしい不屈の光がやどっていました。
「家へ帰ろうか、エディ?」弟の方から兄に訊ねます。
「いいとも」兄は弟の背中を叩きかけますが、激戦の痛みを思いやって手を止め、大男を振り返って手を振ります。「さよなら」
「さよなら」大男も大声で挨拶を返し、「ボートに乗りたい時は、いつでも乗ってくれていいんだよ」と言ってくれます。
「ありがとう!」
ローレンスは、ネーサンと握手をしていました。「さよなら」ローレンスが言います。「いい勝負だったね」
「うん」ネーサンが答えます。
エディとローレンスの兄弟は、寄り添って、またさっきのクローバーの原っぱを無言で歩きます。しかし、無言でも、さっきのような心の離れた沈黙ではありませんでした。ショーは、この場面で書きます。「強い男ならば、言葉を口にするよりももっと雄弁に通じ合う、心に訴える沈黙がある」と。
その沈黙を、エディのポケットの、今晩のデートのための35セントが、ジャラジャラ音を立てて破ります。
突然、エディが弟を呼びとめます。「こっちの道を行こう」
ローレンスは不思議な顔で、「でも、家はこっちの方だよ、エディ」と右の方を指差します。
「わかってるよ、町へ行こう。ストロベリー・アイスクリーム・ソーダを食べようや」

私は、この短編が大好きです。
アーウィン・ショーは、1930年代辺りからの、アメリカが最も素敵だったと言われている時代を書いた作家で、都会における男女の洒脱な関係を描いた短編が著名ですが、この短編にも、アメリカのアメリカらしい良さが描かれていると思います。
主人公エディが悔し涙を流す気持ちと、弟のローレンスが兄に「一緒に来てもらいたいんだ!」という決然とした決意。そして、一世一代の勇気と力を振り絞って傷だらけになった弟に、デートをあきらめてストロベリー・アイスクリーム・ソーダを御馳走してやる兄。ショーのそうした兄弟の気持ちの表現に、私は、老若や環境、そしてその折々の状況に関わりなく、男性が持っているべきメンタルがあると思うのです。私はそうしたメンタルを死ぬまで失いたくない、持っていたいと思っています。
この物語は、兄が弟を町へ誘うシーンで終りますが、きっとエディは、二度と弟を「ロールレンス」とは呼ばないでしょう。
そういえば、苺の酸っぱさは、少年の頃に喧嘩をして口の中を切り、血の鉄っぽさと生臭さが消えた後に残る酸っぱさに、似ているような気がします。喧嘩だけでなく、よく色々なことで生傷を作って血を流し、それを舐めたりしましたが、あの頃の血はなぜあんなに酸っぱかったのでしょう・・・。

最も崇高な色。

世の男性の装いに、はじめて黒を一般化したのは、19世紀末の英国の詩人でありイラストレーターの、オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーだと言われています。病弱な彼は、その早い晩年に結核を患っており、自らの悲観的な将来を皮肉って黒の服を着たとも、また、彼の作風である白黒のペン画のプロモーションのためだったとも言われています。

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オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー

歴史的に、男性の礼装に黒を持ち込んだのは、エドワード・ブリュワー・リットンとされています。あの、リットン調査団のビクター・リットンの祖父にあたります。政治家であり、小説家、劇作家でもあった彼は、当時有数のダンディであり、失意に打ちひしがれた男性をロマンティックに演出しようとして、夜会服に黒を用いたのでした。
しかし、黒い服を英国上流社会で隆盛に導いたのは、なんといってもジョージ・ブライアン・ブランメル、通称ボゥ・ブランメルでしょう。当時皇太子であったジョージ四世の側近として、英国社交界の寵児となったブランメルは、英国郷士の身分であり、上を貴族階級、下を台頭しつつあるブルジョアに挟まれて、思想や価値観においてその上下と戦わなければなりませんでした。
伝統的な装いでは王族や貴族に一日の長がありますし、消費できる金銭ではブルジョアに敵いません。そこで、彼がとった戦略が、ビアズリーが後に持ち込んだモノトーンの装いの華麗なるベースとも言える、攻撃的な消去法です。
ブランメル以前の王族や貴族の装いは、今日の私達のイメージで言えば、デュマの「三銃士」の貴族や王族のものに近いものでした。模様や色柄が多く、締まりが無くなりがちな構成を、その家その家の歴史的経験値で洗練させ、また、王族や貴族に多くみられる肥満が「貫禄」にみえるようなシルエットでした。
そこに、ブランメルは、現在のテイル・コートやモーニング・コートの装いに通じる、乗馬服をベースにした身体にフィットしたモノトーンの服装を持ち込んだのです。
色や装飾を極限まで排除してしまい、その代わりに生地などの素材の質そのものを吟味し、身体に完璧にフィットするように仕立て、服そのものの機能美とともに白い和紙に書かれた墨筆のような美しさを表現したのです。
この服装は、肥満していると似合わないために、克己心が無い人間には着こなせません。更に、自らの体型、用いる生地の質、仕立て方や手入れの仕方、また、着用した場合の所作などを総合的に分析する、その個人そのものの知識、経験、勤勉の深さが装いに顕れてしまうので、歴史的な有形、無形の遺産を継承している王族、貴族であっても、本人に勤勉さや克己心が欠如していればできない装いですし、まして、金銭を消費するしか能の無いブルジョアには到底不可能なことだった訳です。
昭和から現代に於ける、日本のサラリーマン達の多くのスーツの着方、「皆と同じ」「目立たない様に」といった消極的な消去法と比べると、いかに攻撃的な装いであったかがお解りになるでしょう。

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ジョージ・ブライアン・ブランメル

私は、このモノトーンの装いが、現在も礼装として、男性の最も崇高な装いとして存在するのは、二つの大きな理由があると思います。一つは、「全ての無駄を取り除いていけば、最後に残ったものが最も価値があるものである」と考える、欧州独特の思想です。錬金術の蒸留もこの考え方に基づいていますし、サー・アーサー・コナン・ドイルはシャーロック・ホームズ氏に「全ての無駄を取り除いて残ったものが、いかに信じ難い事であっても真実なのだ」と言わせています。ブランメルの攻撃的消去法によるモノトーンの装いは、この欧州人達の琴線に触れたのです。だからこそ、閉塞的な思想の上流階級の人間も、それとは反発する新興階級の人間も、こぞって彼の軍門に下ったのでしょう。
二つ目は、女性の装いとの完全な差別化です。このことにより、女性をより華やかに見せるという実質と、騎士道精神的に女性をサポートするという大義名分がその装いに生まれます。この時代は、女性の活動や思想が表に出てくることは稀ですが、実は、社交界などでは、有力な女性の意見にはかなり大きな力があり、女性の支持が得られるかどうかが社交界における成功の秘訣でした。また、人口の半分は女性であるという数値的な問題でも、女性達の支持を受けるということは極めて重要な事でした。
装いにおけるブランメルの最も非凡であったのは、この二点に着眼した(例え結果論であっても)点にあると思います。その歴史を経ても色あせない影響力は、現代の日本でも、男性のスーツスタイルのアンケートでは、「濃紺のスーツが好き」と答える女性の数が圧倒的に多いということでも裏付けられています。

さて、その黒という色ですが、ブランメルやビアズリーの頃から、黒をより黒らしく見せるための工夫が続けられて来ています。
何ものにも染まらない黒ですが、人間の眼には光線の具合によって、様々なトーンに変化して見えてしまいます。太陽光の下では緑色に見えたり、白熱灯の下では染め方、織り方により、赤茶けて見えたりやはり緑がかって見えたりします。こうした条件下でも、黒を黒として見せるために、数十種類の「黒」が存在します。加えて、人間には表情や体型によって、合う色と合わない色がありますから、その人の人となりに合う「黒」が工夫され、生地に於ける黒という色の種類は増えていったのでしょう。

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真正ミッドナイト・ブルーのディナー・コート

ブリティッシュ・カウンシルに規定されている黒という色は、四十種類弱あります。また、オックスフォード・グレイと言われる最も濃いグレイは、昼の礼装が太陽光の下でより黒らしく見えるための色ですし、以前の項で書かせて頂いた、ミッドナイト・ブルーも、夜の礼装が白熱灯の下でより黒く見えるようにと作られた色です。
注意しなくてはならないのは、これらの色は全て「黒」だということです。オックスフォード・グレイは、グレイでなく黒であり、ミッドナイト・ブルーもまた、ダーク・ブルーではなく黒なのです。黒なのですとわざわざ書く理由は、「黒として扱わなければならない」ということと、「特定の条件下での黒」だということです。例えば、オックスフォード・グレイは、太陽下でより黒く見せるための色ですから、夜の礼装でこの色を使うことは「基本的」にはNGです。同様に、ミッドナイト・ブルーも、白熱灯下でより黒く見せるための色ですから、昼の礼装にこの色の生地を用いるのは、やはり「基本的」にはNGですね。しかし、「基本的」にであって、してはならないと申し上げているのではなく、なさる場合は一種の「チャレンジ」であると自覚する必要があるということです。そう、ダーク・スーツにこげ茶のバックスキンの靴を合わせた、ウィンザー公のように・・・。男性の装いには、そうした反骨を敢えてする、という楽しみ方もあるということです、リスクはありますが(笑)。そして、スーツスタイルは、ブランメルの頃からそうした反骨を内包した男性の装いなのです。
この反骨の要素があったからこそ、現代に繋がる黒をベースとした男性の装いは、やがて英国に訪れる質素と質実剛健を美徳とするビクトリア時代の、フレイザーやサッカレーといったカウンター・スノビズムを旨とした新興紳士階級にも受け入れられ、摂政時代には、華麗なる上流階級の男性達の「粋で伊達」な装いの色であった黒は、ビクトリア時代の新興ビジネス・サクスィーダー達には、尊敬すべき男の「品格」ある装いとして受け入れられたのです。
それ故にこそ、無知からくる失敗ではなく、熟知した上での冒険なのだというアピールは、自分の安全のためだけではなく、周囲への配慮として、大人の男性として不可欠なものではないでしょうか?
昨今、アパレル関係の方達が、メディアでよく語られる男性のスーツスタイルに於ける「ほんの少しのアク」とか、「一滴の毒」というものは、その根幹をこうした反骨精神に置いた「男のささやかな抵抗」であって、上司と食事をする際に右へ倣えのメニューしか選べないような男は、アクだの毒だのということは考えてはいけない人間だと自覚すべきでしょう。

また最近は、特定のセレクトショップや仕立て屋さんで、ミッドナイト・ブルーやオックスフォード・グレイが小さな流行になっていますが、それに流されずにご自身に合う「黒」を見つけて頂きたいと思います。礼装用の黒一つとっても、生地の織り方でさえドスキンやバラシア、ベネシャン等々、たくさんありますから、是非とも、表情、体型、活動の仕方など、よくよく吟味された上で、ご自身に一番お似合いになる「黒」を探し当てて頂きたいものだと、心から願っています。ブランメルの頃から現在に至るまで、男性のもっとも崇高な色なのですから。
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