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褒めては育つものも育たない。

数日前のS新聞に、或る女性ジャーナリストの「はとぽっぽ首相は戦後教育の失敗例」というコラムが掲載されていました。この女性ジャーナリストの方は、エレガントで物静かな風貌からは想像もつかない、毅然としたメンタルを持った方で、昨今の草食系とか、電車に乗ると子女を押しのけてシートへ一直線のヘナヘナ男達に、爪の垢でも煎じて飲ませたいものだと常々思っております(笑)。
そう言えばこの方、以前やはりどこかの誌面で、「昨今は褒めて育てることが良いこととされて、やたらに子供を甘やかす親が激増しているが、考えものである。特に男の子は、甘やかして育てるとまともな男性として育たない」というようなことをおっしゃっており、痛く同感したのを覚えております。

「褒めて育てる」は元々がアメリカから、正確に言うとアメリカ帰りの日本人から日本に敷衍したもので、それについて印象深く思い出されるのは、やはり以前に、或るFM局の日本語がまともに操れない女性MCが、日本のサービス業は全てチップ制にすべきだと言っていたことです。そうすれば、サービスの質が向上するというのです。確かに、今の日本のサービスの質の低下は問題だと思います。サービスどころか、製造業も規定の一割だか二割の、ちょっとした地震でももたない建物を作ったりしていましたし、政治に至っては、芸能人やスポーツ選手の余後の副業にまで堕しかねない有様です。
しかしながら、私はチップ制は、結局はこの低下に拍車をかけるものでしかないと思うのです。
物を貰わなければまともな事の出来ない奴などは、ろくなものではない、と。
資源の無い日本が、まがりなりにも先進国としてやっていけるのは、勤勉さや技術の高さと同時に、仕事に対する志の高さがその支えとなっているのです。アメリカの子供が物心つくと、近所の芝刈りで1ドル貰い、世間(社会)と接していくのとは、良くも悪くも違うのです。くだらない派手さや、意味の無い余得は、「いらない」と言い得るのが日本人の大いなる強みであったのです。

「褒めて育てる」と言う事にも、私は「チップ」と同じ理由で賛成しかねるのです。だいたい世間に、褒めねばならない程の人物など、そういるものではありません。それを、意味も無く褒めるのは、相手に対する侮り以外の何ものでもありませんし、また厳密に言えば褒めているのではありませんね、あやしているだけです。泣き虫の赤ん坊に抱き癖をつけるが如き事はやめるべきだと思うのです。それに、褒めなければ、おだてなければ、つまり飴を与えなければ努めない人間など、やはりろくなものではありません。

チップを貰わなければ、まともなサービスが提供できなかったり、褒めなければまともに努力しないような人間では、精神的地力の強い人間は育ちませんし、志を高く持つことによって生じる些細な不便には耐えられません。

私とて仕事を持つ人間ですから、必ずしも上に書いてきたことを満たすようなご立派な人間ではないと思います。
しかし、「いろいろといっぱいくれる」から尾を振るような人間には決してなりたくないと常々思い、励んでいるつもりではあります。
「武士は喰わねど高楊枝」。20代くらいまで思っていたのとは違う意味で、味わい直してみたい言葉ですね。
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