スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Wardrobeと汁かけ飯。

身に着けるものは、「全て見えるところにあるのがよい」と仰る方が多くいらっしゃいます。まさに、おっしゃる通りだと思います。
ワードローブはそうあるのが望ましく、出来れば陽の光と、薄暗いスペースがあれば、黒と濃紺を間違うことも無く(笑)、なおよいと思います。
しかし、各アイテムを、スーツ、タイ、シャツ、ホーズ、靴と組み合わせて、それごとにセットアップしておくのはどうでしょう? 私は、あまり良いことだとは思いません。そうしておかなければ、そうした組み合わせをチョイスすることが出来ないのだろうか?と疑問に思ってしまいます。
こうした話を聞くと、私は、戦国大名の北条氏康が、息子氏政の汁かけ飯の食べ方を嘆く話を思い出して、ちょっと切なくなってしまいます。

汁かけ飯のエピソードというのは、以下のようなお話です。
北条氏康が息子と食事をした時に、食事の終わりに二人で汁かけ飯をしました。今では、汁かけ飯や茶漬けは、あまり品の無い飯の食べ方だとの印象もありますが、戦国期の武家では、汁かけ飯と湯漬けは、ごく当たり前の飯の食べ方でした。
氏康は、息子の氏政が、飯に汁をかけるのに一回で適量にできず、二回目で適量になって食べ始めたのを見て、「やれやれ、自分が死んだらコイツの代で我が家は終わりだろう。」と嘆いたといいます。
後に家臣が、その理由を氏康に尋ねると、
「物心ついてから今までに、食事は毎日二回(当時は一日二食)、何回となく繰り返してきているのだ。それなのに、よい年齢になっても自分が飯を食べるのに必要な汁の量さえ身に付かないようでは、あいつの代で我が家は潰えるだろう。」
と答えたといいます。
事実、小田原北条氏は氏政の代に豊臣秀吉によって滅ぼされ、氏政は切腹させられてしまいます。

uh01
北条氏康座像

身に着けるものをセットアップしておく、というのは、汁かけ飯にする汁を計量するようなものです。多くの人は二十代前半から、人によってはもっと若い時から、日常身に着けるのですから、どのアイテムを先に決めるかは別として、一つのアイテムを選択したら、無意識に近い状態で残りのアイテムが決まるようでなくては、私は、それが身に付いているとは言えないと思います。
また、例えば、一着のスーツに対して、その人のベストの組み合わせというのは、どんなに多くても、通常五通りは無い筈ですので、少なくとも三十歳を過ぎたら、たまの例外はあるにしても、その日の服装を決めるのにアレコレ悩んだり、時間がかかるというのは、成人男子として未熟であるということ以外なにものでもないと思います。

私は、以前の頁にも書かせて頂いたように、スーツ、シャツ、ネクタイやホーズ、靴の選択に悩むのは、出掛ける前の朝や、前日の夜に男がとるべき行為ではないと思っています。
これも、何度も書きますが、もっと他にやるべきことがあると思っています。身に着けるもので言えば、シャツはきちんとプレスがされているか、トラウザースのクリースはきちんと入っているか、上着にブラシはあたっているか、靴はきちんと磨かれているか、の方がはるかに比重が重いと思います。
身に着けるものを、あれやこれやと考える時間が楽しくて仕方がないんだよ、という方もいらっしゃるでしょう。そういう方は、好きでやっていらっしゃるのですから、どうぞお気の済むまで楽しまれたらよいと思います。
けれども、コレは私の偏見かもしれませんが、それでも私はそうした行為が男らしい行為とは思えません。

勘違いして頂いては困るのですが、アイテムの選択や組み合わせがいい加減でよいと言っている訳ではありません。よい年齢をして、自分にとってベストな、またはそれに近い選択や組み合わせが決まっていない、理解できていないのは、未熟だと言っているのです。それは、自分の事が理解できていないということであって、若ければ言い訳もできますが、そこそこの年齢になっていれば、「いつまで自分探しをやっているの?人生は短いよ。」ということになります。
精神的に、一生をかけて研鑽していくということは厳然と存在すると思います。そうしたことが、その人の装いに影響することも、また大いにあるでしょう。しかし、それを毎日の着る服や履く靴の選択に右往左往することと重ね合わせるのは、間違っていると思いますし、あまりにも卑小だと思います。

kg608
自然な所作や振る舞いは、日々の鍛錬の到達点の一つと言えるかもしれません。

こうしたことは、会食をした時にも時折感じさせられます。
最近の方は、美味しいお店や高級なお店をよくご存知で、食いしん坊の私は、そうした人達と会食するのがとても楽しみです。
そうした知識や情報が敷衍する一方で、きちんと箸が持てる人の数が反比例しています。今では、十人と食事をすれば、六人はまともに箸が持てない人、という統計です(笑)。
私は、あまり神経質な人間ではないので、そうした箸の持ち方を見て、不快になることはありませんが、「こんな美味しい食事を理解できる感性があるのに、お箸の持ち方をきちんと教育されなかったのかかなぁ。」と気の毒に思うと同時に、ちょっぴり日本人として恥ずかしいとも思うのです。
お話は少しずれますが、お子様をお持ちの親御さんは、どうか、きちんとお箸を持てるように教えて差し上げて下さい。毎日のことだというだけで、難しいことではないと思いますので。

所作や振る舞いというのは、あくまで自然でなくてはなりません。
こうした話を聞いたからと、人前で箸の持ち方に全神経を遣い、周りの人から気の毒に思われるようでは本末転倒ですし、いかに積み重ねが大事かということだと思います。
つまり、飯に汁をかけるという毎日行う何気ない、つまらないと思える行為にも、おのれのインテリジェンスを動員してこれを行え、ということなのでしょう。戦国大名というのは、毎日そうした緊迫感の中で生きてきたということでしょうね。
日本の伝統技能には、鍛錬と積み重ねによって無意識になり、所作と振る舞いが自然になる、というものが多くあります。茶の湯然り、能然り。
サー・ハーディーによる、私の好きな装いに関する言葉、

A man should look as if he had bought his clothes with intelligence,
put them on with care, and then forgotten all about them.

は、そうしたことをおっしゃっておられるのだと思います。
勘違いされた解釈をしておられる方、多いと思うのですが・・・。
スポンサーサイト
検索フォーム
リンク
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。