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徒然の徒然 (1)。

私は思慮深くありたいし、また人はそうあろうと努めるべきだとも思うのです。
自分が無策な事に対して、他人が気の利いて見える事を言うと、熟慮もせずにすぐチヤホヤする。そんな、笛を吹けば踊り出すが如き軽率は行動力とは全く違うと思っています。その種の愚かさを持つ者は、常に他人に危険と不利益をもたらすものです。

人間の持つ最も醜い癖の一つは、平凡に齢を重ねると「自分はこういう人を知っている。」とか、世にその道の大家と云われている人間の言葉を安易に引用して、「この人はこう言っている(だから私は間違っていない)。」と言いたがる事です。
そして、人間の弱さというのは、肥満した人間を見れば理解できます。自分が怠惰で醜いことを熟知しながら、他人にそれを指摘されると、自らの怠惰を反省もせず、勝手に傷つき、指摘した者を非常識とののしり、克服の努力からは常に目を背けるものです。誰しもが持つ弱さではあるが、肥満した人間はそれがとりわけ顕著であるという傾向があります。

自分を表現する事と、自分の弱さを赤裸々に曝け出す事は違うものです。
誰でも突発時には取り乱すことはあるものです。しかし、少し時間がたてば落ち着きを取り戻して事態に対処し、狼狽えないのが大人でしょう。
あそこでこんな話が、あの人がこう言っているという類の危機意識の煽り方は、幼児の囃し立てや泣き言に等しいものです。

自分が、訳もわからず不安で、安心したいがための仲間作りに、人間の危機意識を利用するのは、とても悪質なことだと思います。やる者はどんな時でも、一人でも、百万人とでもやるべきことはやるものです。
「今、何かしてますか?」という問いかけをする者が一番使い物にならない者でしょう。自分の頭で考えて、自分の責任で、自分の身体で行動して欲しいものです。

自分の行動を他者のそれと比較して過大評価しても過小評価してもいけません。行動を比較すること自体が不毛です。一文字を書くことと大岩を動かすことの効果のどちらが大きいかは、本人にはわからないのですから。自分の人生に信念も哲学も持てない者は、たいていこれで自信を失うものです。黙々と自分がすべきと思う事だけを為せばよいのです。

引用で恐縮ですが、私がいつも心で味わいなおす言葉です。『私は、小さな一隅を照らすものでありたい。私の照らす一隅が、どんなに惨めで、小さく、儚くても、悪びれず、怯まず、いつもほのかに照らしていたい。そして私は、人の唇に浮かぶ微笑みを、自分の幸せと感じられる人間でありたい。』
諸葛亮も、仰いました。『吾が心、秤の如し。人(他人)の為に低昂する能はず。』

仕立て屋さん、ポワロと私。

アガサ・クリスティー作の名探偵、エルキュール・ポワロをご存知の方は多いと思います。
私はITVのドラマで、俳優のデビッド・スーシェ演じる「エルキュール・ポワロ」の、『誘拐された総理大臣 (The Kidnapped Prime Minister)』という回が好きなのです。
ストーリー全般は、ポワロのシリーズの中ではあまり盛り上がる方ではないのですが、オープニングとエピローグで、ポワロが仕立て屋へ行き、服を誂えるシーンが好きなのです。私の思っている仕立て屋さんの理想に近い形がそこにはあるからです。

ポワロの服を仕立てる、老仕立て屋Fingler氏は、寂しい街外れに店を構えています。
質素な服装をして、反物が天井まで積まれた雑然とした店で作業をしています。しかし、自身の技術に関しての努力・研鑽と自信は揺るぎなく、同行したポワロの友人にしてパートナーのヘイスティングズ氏が、それを疑う素振りを見せると、「サビル・ロゥ(日本語吹き替えでは有名な店となっています)をお試しになられたければ、いつでもどうぞ。でも、みんな私が教えた子達ですよ。」と、チクリとやりますが、服を作るということ以外にはすべてに控えめで、出過ぎる事がありません。
Fingler氏が、ポワロのウエストが1/2インチ増えた(太った)ことを指摘して、ポワロがそれを否定すると、彼は悪戯っぽい表情でヘイスティングズ氏に、「このお客様は、毎年、私のメジャーが縮むとおっしゃるんです」と言い、ポワロと顔を見合わせて微笑むシーンは秀逸です。
店を出てから、ヘイスティングズ氏がポワロにもう一度、「どうしてサビル・ロゥ(日本語吹き替えでは、やはり有名な店になっていますが)で仕立てないんです?」と聞くと、ポワロはこう答えます。
「Fingler氏は芸術家と言っていい仕立て屋です、そういう人間には、それを理解し、支える人間が必ず必要なんです。」

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現在の、日本人の仕立て屋さんの「技術」は優秀だと思います。特に、三十代中盤から四十代くらいまでの、若手と言われる仕立て屋さん達の技術は、世界的に見ても、全く遜色がないか、むしろ上回っているとさえ感じます。
しかし、私が気になっているのは、彼らの多くが、私が考える「お客様を迎えるに相応しい」装いをしておらず、どこぞの大手企業の経営陣のような服装や、休日に遊びに行くような服装、これからナイトイベントに繰り出すような服装をしていて、自らをスタイルの発信源の様に意識しているかのようなフシが見え隠れするということです。
日本では、仕立て屋さんの場合は、家業を継ぐ方よりも、服好きが昂じて仕事になった方が多くなりつつあることや、欧州などに比べて、服を誂える顧客のレベルが低いということがあり、そうした状況になるのは、ある程度致し方が無いと言えるのかもしれませんが、ハッキリ申し上げて、私は好きではありませんし、仕立て屋さんが教祖の様になっている状況も不気味だと思いますし(笑)、私は服を作る新興宗教に入信する気も、お布施をする気も全くありません。

ここで一つ、日本の多くの方が勘違いされていることを指摘しておきたいと思います。日本ではここ数年、職人やクラフツマンシップが大きく評価されていますが、私は、その点、やや過剰に過ぎると思っています。私も、自身が技術者でありますから、そうしたものは尊重しますし、非常に大切に思っていますが、それと、職人や技術者を祀り上げることとは違うと思うのです。
例えて言うならば、イングリッシュネスやパリのエスプリ、ローマやミラノのエレガンスを体現しているのは、仕立て屋さんなどではなく、質の高い顧客達なのです。そうした質の高い顧客を納得させ続けていられるだけの能力を持ち、努力・研鑽を重ねているからこそ、一流どころはそうなのであって、はじめにまず顧客ありき、なのです。服を作る人間を祀り上げている限り、日本の顧客たちはその域に達することはできないでしょう。
これは、服作りをする人達を決して軽視したり、貶めたりしていうものではありませんが、顧客にとって仕立て屋さんは、自己を表現するための、自分にとって必要な要素を得る為の、一つの機関なり道具である、それ以上でも以下でもない、とどこかで意識するべきであると思うのです。そう思えてはじめて、「たかが服、されど服」の意識になれるのだと思います。

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私が服を仕立てる時に選ぶ生地には、ある特長があります。それは、私の好みでもあり、私が持っている、服を着て行くステージの傾向でもあると思います。また、どんなに生地の素性やスペックが良くても、決して着ないタイプの生地もあります。
私は、最大二度の対話で、そうした私のことを掴み取れない人には、どんなに技術が優れていても決して服を注文することはありません。また、自分が如何に良い生地だと思っても、私の好みでない、或いは着ないタイプの生地を強く勧められる、ということが大嫌いなのです。
服を作る時に、私と仕立て屋さんの関係は、王様と召使いの関係だと思っています。別に、横暴なこともしませんし、理不尽な我儘も言いませんが(笑)、召使いの分を超えた発言や振る舞いは、私の最も嫌うところです。顧客を持つ、所謂客商売には、顧客の前で弁えるべき分というものがあり、日本の仕立て屋さんには(勿論、総じてということではなく、素晴らしいところもありますが)、その辺りをよく理解されていなかったり、誤解されている方が多いように思います。

私が服を任せている仕立て屋さんは、身嗜みをはじめとして、顧客を持つ人間としての行動や物言いは、私に関する限りパーフェクトと言ってよい人なのです。
服装は、きちんとしていますが決して出過ぎず、私が欲しない、必要としないものを勧めたことがありません。
また、上着でも、ウエストコートでも、トラウザースでも、私の手が自然に行くところに釦があるなど、顧客が服を着ていることを忘れ、自然に振る舞う為の、観察と工夫を怠らず、常に続けている人です。
所謂、仕立て屋さんの専門技術の領域に属することでは、彼を上回る仕立て屋さんもいるかと思います。けれども私は、私の仕立て屋さんが店主として私に接する快さ心地よさ、彼の服を纏った時になれる自然で無意識な感覚がある限り、今お世話をかけている仕立て屋さんとは離れられないでしょう(笑)。

Wardrobeと汁かけ飯。

身に着けるものは、「全て見えるところにあるのがよい」と仰る方が多くいらっしゃいます。まさに、おっしゃる通りだと思います。
ワードローブはそうあるのが望ましく、出来れば陽の光と、薄暗いスペースがあれば、黒と濃紺を間違うことも無く(笑)、なおよいと思います。
しかし、各アイテムを、スーツ、タイ、シャツ、ホーズ、靴と組み合わせて、それごとにセットアップしておくのはどうでしょう? 私は、あまり良いことだとは思いません。そうしておかなければ、そうした組み合わせをチョイスすることが出来ないのだろうか?と疑問に思ってしまいます。
こうした話を聞くと、私は、戦国大名の北条氏康が、息子氏政の汁かけ飯の食べ方を嘆く話を思い出して、ちょっと切なくなってしまいます。

汁かけ飯のエピソードというのは、以下のようなお話です。
北条氏康が息子と食事をした時に、食事の終わりに二人で汁かけ飯をしました。今では、汁かけ飯や茶漬けは、あまり品の無い飯の食べ方だとの印象もありますが、戦国期の武家では、汁かけ飯と湯漬けは、ごく当たり前の飯の食べ方でした。
氏康は、息子の氏政が、飯に汁をかけるのに一回で適量にできず、二回目で適量になって食べ始めたのを見て、「やれやれ、自分が死んだらコイツの代で我が家は終わりだろう。」と嘆いたといいます。
後に家臣が、その理由を氏康に尋ねると、
「物心ついてから今までに、食事は毎日二回(当時は一日二食)、何回となく繰り返してきているのだ。それなのに、よい年齢になっても自分が飯を食べるのに必要な汁の量さえ身に付かないようでは、あいつの代で我が家は潰えるだろう。」
と答えたといいます。
事実、小田原北条氏は氏政の代に豊臣秀吉によって滅ぼされ、氏政は切腹させられてしまいます。

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北条氏康座像

身に着けるものをセットアップしておく、というのは、汁かけ飯にする汁を計量するようなものです。多くの人は二十代前半から、人によってはもっと若い時から、日常身に着けるのですから、どのアイテムを先に決めるかは別として、一つのアイテムを選択したら、無意識に近い状態で残りのアイテムが決まるようでなくては、私は、それが身に付いているとは言えないと思います。
また、例えば、一着のスーツに対して、その人のベストの組み合わせというのは、どんなに多くても、通常五通りは無い筈ですので、少なくとも三十歳を過ぎたら、たまの例外はあるにしても、その日の服装を決めるのにアレコレ悩んだり、時間がかかるというのは、成人男子として未熟であるということ以外なにものでもないと思います。

私は、以前の頁にも書かせて頂いたように、スーツ、シャツ、ネクタイやホーズ、靴の選択に悩むのは、出掛ける前の朝や、前日の夜に男がとるべき行為ではないと思っています。
これも、何度も書きますが、もっと他にやるべきことがあると思っています。身に着けるもので言えば、シャツはきちんとプレスがされているか、トラウザースのクリースはきちんと入っているか、上着にブラシはあたっているか、靴はきちんと磨かれているか、の方がはるかに比重が重いと思います。
身に着けるものを、あれやこれやと考える時間が楽しくて仕方がないんだよ、という方もいらっしゃるでしょう。そういう方は、好きでやっていらっしゃるのですから、どうぞお気の済むまで楽しまれたらよいと思います。
けれども、コレは私の偏見かもしれませんが、それでも私はそうした行為が男らしい行為とは思えません。

勘違いして頂いては困るのですが、アイテムの選択や組み合わせがいい加減でよいと言っている訳ではありません。よい年齢をして、自分にとってベストな、またはそれに近い選択や組み合わせが決まっていない、理解できていないのは、未熟だと言っているのです。それは、自分の事が理解できていないということであって、若ければ言い訳もできますが、そこそこの年齢になっていれば、「いつまで自分探しをやっているの?人生は短いよ。」ということになります。
精神的に、一生をかけて研鑽していくということは厳然と存在すると思います。そうしたことが、その人の装いに影響することも、また大いにあるでしょう。しかし、それを毎日の着る服や履く靴の選択に右往左往することと重ね合わせるのは、間違っていると思いますし、あまりにも卑小だと思います。

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自然な所作や振る舞いは、日々の鍛錬の到達点の一つと言えるかもしれません。

こうしたことは、会食をした時にも時折感じさせられます。
最近の方は、美味しいお店や高級なお店をよくご存知で、食いしん坊の私は、そうした人達と会食するのがとても楽しみです。
そうした知識や情報が敷衍する一方で、きちんと箸が持てる人の数が反比例しています。今では、十人と食事をすれば、六人はまともに箸が持てない人、という統計です(笑)。
私は、あまり神経質な人間ではないので、そうした箸の持ち方を見て、不快になることはありませんが、「こんな美味しい食事を理解できる感性があるのに、お箸の持ち方をきちんと教育されなかったのかかなぁ。」と気の毒に思うと同時に、ちょっぴり日本人として恥ずかしいとも思うのです。
お話は少しずれますが、お子様をお持ちの親御さんは、どうか、きちんとお箸を持てるように教えて差し上げて下さい。毎日のことだというだけで、難しいことではないと思いますので。

所作や振る舞いというのは、あくまで自然でなくてはなりません。
こうした話を聞いたからと、人前で箸の持ち方に全神経を遣い、周りの人から気の毒に思われるようでは本末転倒ですし、いかに積み重ねが大事かということだと思います。
つまり、飯に汁をかけるという毎日行う何気ない、つまらないと思える行為にも、おのれのインテリジェンスを動員してこれを行え、ということなのでしょう。戦国大名というのは、毎日そうした緊迫感の中で生きてきたということでしょうね。
日本の伝統技能には、鍛錬と積み重ねによって無意識になり、所作と振る舞いが自然になる、というものが多くあります。茶の湯然り、能然り。
サー・ハーディーによる、私の好きな装いに関する言葉、

A man should look as if he had bought his clothes with intelligence,
put them on with care, and then forgotten all about them.

は、そうしたことをおっしゃっておられるのだと思います。
勘違いされた解釈をしておられる方、多いと思うのですが・・・。

利休とブランメル。

私は、心静かになりたい時に、よくお茶をたてることがあります。
幼少期、じっとしていられない子供であった私は、色々な習い事をさせられ、その多くは、ご教授くださる方達と諍い、続きませんでしたが、何故か、茶道だけは長く続けられました。おかげさまで、名取りを頂くまでになりましたが、私のような子供が、茶道を続けられた理由として、茶道には食事やお菓子が付き物であるということが最大の理由であったことは否めませんが(笑)、その独特の世界観、空気、音、そして、私がなかなかできない所作を、自然に易々と、しかも美しくこなす大人たちに魅された、ということもまた大きかったのです。

日本人で、千利休をご存知ない方は少ないと思います。
侘び茶を確立した人物、茶道を我が国の伝統文化として定着させる基となった人物として、茶道を嗜む人間からは、流派を超えて半神的な扱いをされますが、大茶人と言われる人物は他にもいたというのに、なぜ、利休だったのでしょうか。
唐物や名物といった贅沢な茶器に頼らずに、装飾性を否定し、ある意味禁欲主義的ともいえるやり方で、侘び茶の世界観を表現し得たことなどを理由に挙げる方も多いのですが、私は、それでは説明しきれないものがあると思っています。

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千宗易(利休居士)座像

元々、千利休は、織田信長の抱えた茶人であって、津田宗及、今井宗久とならんで、天下の三宗匠とよばれる茶頭でしたが、この三人の中では末席に近い扱いでした。それが、豊臣秀吉の世となって、秀吉に引き上げられて、ほぼ独占的に彼の茶頭となり、茶の湯に関する唯一のアドバイザーとなりました。千利休の利休というのは、秀吉が仲介し、正親町天皇が勅許した「居士号」です。
秀吉から、「天下一の茶人」と号されたこと。利休の卓越性、天才性、そして工夫、研鑽が、それらをして、茶道=千利休というイメージになったのでしょうか? しかし、私はいずれも、時の流れの長きに渡って、道と名の永続性を得るためには小さ過ぎるものであると思うのです。
利休は、晩年に秀吉と対立、終には切腹を命じられて二人の関係が終わるのは周知のところですが、私は、この対立にこそ、利休が他の茶人達と違い、後世に道と名を遺す大きな理由があると思うのです。

現在でも、文化事業には時間と金がかかります。そのために、多くの芸術家などの表現者は、経済的に富裕で、世の中への影響力も大きい人間をパトロンとして求めます。国家的な事業となれば、必要な力はますます大きく、利休の活動は、秀吉のバックアップ無しに実現することは有り得なかったでしょう。実際、利休以外にも、多くの茶人や画家などが、大名のお抱えとして活動を保証されています。
そして、利休が他の茶人たちと違っていたのは、こと茶道に於いては、その恩人でありパトロンである秀吉に対しても、一切の妥協をしなかったという一点です。この時代、パトロンと正面切って対決した人物は、他にありません。せいぜい、ひとり毒づいて、山野に隠れ住むくらいのものでした。
秀吉が茶室で戯れをして、利休がそれを無かったこととして平然と無視したのは有名なエピソードですが、これ以外にも、秀吉に対して利休は、茶の湯に関しては、「あなた如きが、私と対等にものを言ってもらっては困る」という態度を取り続けます。侘び茶の観念も、豪華絢爛、金ピカ派手派手の秀吉のやり方を対比として、そうした表面的な贅沢よりも、もっと素晴らしい内面世界がちゃんとあり、それが私の侘び茶であるというのを、利休の創した茶室が物語っているように思えます。意地の悪い見方をすれば、利休は、最初から、その侘び茶の観念が表現したいがために、秀吉を成金の俄か茶人に仕立て上げた、ともとれます。

ここまで読んで頂いた皆様は如何でしょうか? ご自分のパトロン、良き理解者であり、スポンサーでもあり、よい人ではあるが、その分野に関しての理解度、研鑽は今一つという人物に、満座の中で面と向かって、「あなた、私の前で解かった風な口きいてもらっちゃあ困りますね」と言えるでしょうか(笑)。
私は、揉め事を推奨して書いている訳ではありません。書きたい事、言いたい事は、自分の追求するものに対する姿勢、気概なのです。
では、皆様が、傍観者の立場からご覧になったら如何でしょう。「御用学者」、現代では、「提灯〇〇」といった言い方もありますが、これは、かなりの皮肉を含んだ言葉です。アイツは、誰々がいてくれたから、ああ成れたんだ。そんな、おもねる人間だと思われている者の表現するものは、いかに素晴らしくても、道などとしては遺らないでしょうし、その人の名前もその他大勢に埋もれていくでしょう。
己の追求する分野に関しては、庇護者と言えども妥協せず許さない。これは、実は表現者にとっては、キモといっていい重要事項なのです。

しかし、そうなると、パトロンも伝家の宝刀を抜かざるを得ません。「どっちが親分か解からせてやる」ということですね。ことに秀吉とっては、茶の湯=己の、つまり日本の政治の一部ですから、自己の権威低下は絶対に避けねばなりません。秀吉の利休に対する難題は、こうして突き付けられたものです。勿論背後に、堺と博多の商人の主導権争い。秀吉配下の、尾張派と近江派の勢力争い等、色々な事象が複雑に絡み合ってはいますが、根本的には、「俺の羽根の下で、俺の言うとおり、俺が満足するようにきちんとやれ」ということです。
これに対して、利休は、秀吉のそうした本音の部分は無視して、事実と反することには事例を挙げて説明し、感情的な言い訳は一切しませんでした。「どうぞやりたいようになさって下さい、でも、私を思ったようにはできませんよ」という訳です。
この頃になると、秀吉の行動は実に歯切れが悪く、逆に、利休はヤケクソなのかと思う程思い切りよく行動しています。最終的に、利休を殺すことを視野に入れなければならなくなると、秀吉は明らかに困惑し、正妻の北の政所や徳川家康に嘆いたという記録があります。そして利休は、北の政所から、とりなし役を引き受けるから、という知らせが来ても、「私には、おとりなし頂くようなことは何一つない」と、これを拒絶し、自身の死を確定させるのです。

もし、この段階で、利休が命惜しさに秀吉の袖にすがったら、やはり、利休はその他大勢になってしまっていたことでしょう。これも、意地の悪い見方ですが、最終段階で、利休は自身の死が侘び茶に於いてどういう成果をもたらすか、ということに気が付いていたのではないでしょうか。
この、自身の死によって利休は、己の「情熱、努力、工夫、研鑽、克己」が自身の命と等価であるか、それ以上のものであると表現し得たのです。よく、「~は、私の命です」という言い方がされますが、こうして、それを地でいく人間は滅多にいるものではありません。
当時の人々も、利休の死の本質がそこにあることは気が付いていたのではないかと思います。だからこそ、茶道は時を超えて、日本の伝統の流儀の一つとして確立し、千利休の名を現代の私達にまで広く知らしめているのだと、私は確信しています。

私が、本質的に同じタイプの人物だと感じる人間が、英国にもおります。ジョージ・ブライアン・ブランメルです。
今日に至るまで、男服の基本概念を確立したといわれるブランメルは、その身嗜みによって、時の英国々王ジョージ四世に見出され、王の側近となりましたが、やはり、その身嗜みに関しては、パトロンであったジョージ四世に対しても妥協せず、時に辛辣でありました。肥満した王に、「おい、ビッグベン、従者を呼べ」などと言ったのは伝説であり、事実ではないと思いますが、その伝説の元になるような、時にはかなり際どい物言いはしたのではないかと思われます。

ブランメルの時代というのは、それ以前の絢爛豪華で色も多彩、デブが偉そうに見える男服が消えていく頃。ブランメルが纏った衣服は、黒やブルーに白というモノトーンに近い組み合わせで、素材を吟味し、仕立ても身体にフィットするものでした。やはり、身嗜みに「情熱、努力、工夫、研鑽、克己」を必要とする服装で、絢爛豪華を背景にその対比として登場してきた点は、利休と共通するものがあります。
利休も、常に墨染めの衣に宗匠頭巾でしたし、この二人が、「Simple is beautiful.」を胸に持っていたことは間違いないと思います。

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ジョージ・ブライアン・ブランメル

ブランメルもやがて、ジョージ四世と訣別することになりますが、落ちぶれて借金苦に喘ぐブランメルに、ジョージ四世は、カーンの領事職を世話しようと手を差し伸べます。喘ぐという言葉は、ブランメルに失礼でした(笑)。きっと、「別に喘いでなんておらんよ」と言われてしまうでしょう。もし、ここで、ブランメルが差し出された国王の手を握ってしまったら、おそらく、ブランメルの名は今日まで遺らなかったでしょう。差し伸べた手を払い除けた台詞のニュアンスがまた、利休にとても似ているのです。曰く、「そんな役職は存在自体が無駄だ」(笑)。
これで、ブランメルは投獄されることになり、その晩年は、傍観者の立場から見れば、惨めで寂しいものでした。しかし、これによってブランメルは、彼が追及したものが、今日なお彼を始祖とするものだと仰がれる名を手に入れたのです。

利休とブランメル。この二人は、何かを創造する人間、表現する人間に、二つの啓示を与えていると思います。それは、「徒手空拳で、己の能力と才能だけで世に何かを為そうというものは、最大の協力者にこそ妥協してはならない」ということと、「それによって生じる自己の破滅を逃れようとしたら何事も為せない」ということです。自分が大切に思うことを貫くということは、時にそうしたリスクをも伴うものなのです。
そんなものに何の意味がある、と思われる方もいらっしゃるでしょう。確かに、そういう見方もあり、いや、世の中ではそういう見方の方が多数派なのでしょう。しかし、ならばバイロンのような人間が、「ボナパルト(ナポレオン)になるより、ブランメルになりたい」などと評するでしょうか。
やはり私は、日々、つつがなく行きたいと願う反面、利休とブランメルのような生き方もまた、立派なものだな、と感じざるを得ませんし、そういった気概を持って生きたいものだと思うのです。

利休の辞世、
「堤る我得具足の一太刀今此時ぞ天に抛」
お読みになれるでしょうか?
「ひっさぐる わがえぐそくのひとつたち 今この時ぞ天になげうつ」
この辞世に、皆様は何をお感じになるでしょうか?
そして、ブランメルがもし、利休の創った茶室にいたら、そこに何を感じるでしょうか?
霜月初め、薄茶の苦みと甘みを噛みしめながら・・・。

ジョージとエドワード。

アカデミー賞四部門獲得で話題になっている、「英国王のスピーチ」という映画が公開されます。
現英国女王、エリザベス二世の御父君であられるジョージ六世の物語です。
ジョージ六世という王様は、「王冠を賭けた恋」のエドワード八世ことウインザー公と、現女王陛下の間に挟まれた治世で、日本人にとってはイマイチ存在感に欠ける英国王ですが、私は、ウインザー公よりもジョージ六世を敬愛しております。
確かに、ウインザー公は不世出の洒落者であり、男性服飾史においては大きな貢献をし、「男性が最もエレガントであった時代」といわれる1930年代の牽引者の一人でありましたが、それは結果論で、大胆に見えて実は小心、奔放に見えて実は臆病、朗らかに見えて実は屈折しているウインザー公の人物は、私にはどうしても敬愛できません。
映画のメインテーマになりますが、ジョージ六世は重度の吃音症がありました。幼少期に左利きとX脚の強引な矯正による過度なストレスが原因であると言われています。兄のウインザー公は、弟のこの苦難に対して冷淡で嘲笑的であり、時に苦痛のあまり泣き叫ぶ弟をからかい、いじめました。自らが、少年時代の学校ではいじめられっ子であったウインザー公が・・・、と少々驚かされる事実ですね。

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ジョージ六世の装いには、ウインザー公のような華麗さや驚き、そしてギリギリの上品さというスリリングな部分はありませんが、逆に、ウインザー公には無い端正さ、高貴さ、そして安定感があると思います。
それは、自らが背負わされた重い義務から逃げ続けた者と、苦痛に耐えて敵わぬまでも奮闘した者との違いなのではないかと、私は思っています。
寡黙で、病弱であり、社交嫌いであったジョージ六世は、兄ウインザー公の無責任な王位放棄によって、国王という望まぬ重責を背負うことになりますが、生真面目に誠実に責務をこなし、第二次大戦中には、ロンドンからの疎開を勧める側近の意見を、「国民が生命の危機にあるというのに、君主の私に彼らを見捨てて逃げ出せというのか」と退け、自ら武装してバッキンガムに留まり通しました。このことは、大戦中の英国民を精神的に大きく支え、国民の絶大な支持を受けて善良王と言われました。
これまた、ナチスをはじめ敵対勢力と親密であり、結果的には、間接的に国民の生命を脅かした兄とは対称的な生き方です。

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ジョージ六世の写真を見て、まず印象を強くするのは、その落ち着いた表情です。癇が立たず穏やかで、ゆったりと流れる大河のようで、まさに「成人男子」かくあるべしという表情をなさっています。装いも、その表情の延長線上にあり、わざとハズすなどの奇を衒ったところは微塵もありませんが、丁寧によく吟味された、という印象を受けます。
兄ウインザー公は、時に快活で、時にオドオドとし、時にはにかんだ、子供の様にめまぐるしく表情の変わる方でした。それがまた、公の大きな魅力の一つであったことは確かですが、大人の男としての雄々しさや落ち着きに欠けるといった点は否めないと思います。

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ウインザー公の装いは素晴らしいし素敵だと思います。公のような装いの感性を持てたらなぁ、とも思います。そして、変遷流転極まりない公の人生のように、華麗に、めまぐるしく生きてみたいとも思います。
しかしながら、ジョージ六世とウインザー公、「どちらのような男でありたいか?」と問われれば、私は、ジョージ六世と即答するでしょうし、装いも、具体的に参考にするとすれば、やはり、ジョージ六世だと思います。
己に課せられた苦難に敢然と耐え続け、そのストレスによって縮められたとも言われる56年の短い生涯の中、国を愛し、国民を愛し、妻を愛し、娘たちを愛し、そして、偉大なる治世とまで言われるようになった後継者を育てたジョージ六世に、一人の男性として敬愛の念を捧げてやみません。
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