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愛する日本の皆様へ !

吾が愛する日本の同朋の皆さん。
被災してなす術を知らず、空前絶後の破壊に見舞われ、愛する者を失い、茫然自失の中にある方も多いことでしょう。
しかし、皆さん。私は信じています。
我々日本人が、必ずやその逞しい精神力を発揮して、日本を復興させることを。
そして、心して下さい。
混乱を好機とする偽りもまた、既に蠢動しています。
身近の老幼を、今、力の無い方々を助けてあげて下さい。
いまこそ、皆さんが力を発揮する時です。
皆さん一人一人が持っている光が、世を照らす時なのです。
我々が、そうした「日本人の魂」を持っている限り、失敗も敗北もあり得ません。
私は信じています。
そして、私もまた行動しております。

震災。

今回の大規模な震災につきまして、被災者の皆様には心からのお見舞いを申し上げます。
決して希望を失わず、心を励まして、慌てず、心を静められて、まず生きる努力をなさって下さい。
そして、悲しくも犠牲になられた多くの方々に、心よりお悔やみを申し上げます。
どうか、健常な方々は、弱っている方々を助けて差し上げて下さい。心と力を合わせて、危機を乗り切りましょう。
私も、できる限りの努力と行動をしております。
私をご心配下さった方々、ありがとうございます。私は、無事でございます。
愛する同朋の皆様が、少しでも被害が少なく、そして一刻も早く日常に戻れますように・・・。

ジョージとエドワード。

アカデミー賞四部門獲得で話題になっている、「英国王のスピーチ」という映画が公開されます。
現英国女王、エリザベス二世の御父君であられるジョージ六世の物語です。
ジョージ六世という王様は、「王冠を賭けた恋」のエドワード八世ことウインザー公と、現女王陛下の間に挟まれた治世で、日本人にとってはイマイチ存在感に欠ける英国王ですが、私は、ウインザー公よりもジョージ六世を敬愛しております。
確かに、ウインザー公は不世出の洒落者であり、男性服飾史においては大きな貢献をし、「男性が最もエレガントであった時代」といわれる1930年代の牽引者の一人でありましたが、それは結果論で、大胆に見えて実は小心、奔放に見えて実は臆病、朗らかに見えて実は屈折しているウインザー公の人物は、私にはどうしても敬愛できません。
映画のメインテーマになりますが、ジョージ六世は重度の吃音症がありました。幼少期に左利きとX脚の強引な矯正による過度なストレスが原因であると言われています。兄のウインザー公は、弟のこの苦難に対して冷淡で嘲笑的であり、時に苦痛のあまり泣き叫ぶ弟をからかい、いじめました。自らが、少年時代の学校ではいじめられっ子であったウインザー公が・・・、と少々驚かされる事実ですね。

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ジョージ六世の装いには、ウインザー公のような華麗さや驚き、そしてギリギリの上品さというスリリングな部分はありませんが、逆に、ウインザー公には無い端正さ、高貴さ、そして安定感があると思います。
それは、自らが背負わされた重い義務から逃げ続けた者と、苦痛に耐えて敵わぬまでも奮闘した者との違いなのではないかと、私は思っています。
寡黙で、病弱であり、社交嫌いであったジョージ六世は、兄ウインザー公の無責任な王位放棄によって、国王という望まぬ重責を背負うことになりますが、生真面目に誠実に責務をこなし、第二次大戦中には、ロンドンからの疎開を勧める側近の意見を、「国民が生命の危機にあるというのに、君主の私に彼らを見捨てて逃げ出せというのか」と退け、自ら武装してバッキンガムに留まり通しました。このことは、大戦中の英国民を精神的に大きく支え、国民の絶大な支持を受けて善良王と言われました。
これまた、ナチスをはじめ敵対勢力と親密であり、結果的には、間接的に国民の生命を脅かした兄とは対称的な生き方です。

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ジョージ六世の写真を見て、まず印象を強くするのは、その落ち着いた表情です。癇が立たず穏やかで、ゆったりと流れる大河のようで、まさに「成人男子」かくあるべしという表情をなさっています。装いも、その表情の延長線上にあり、わざとハズすなどの奇を衒ったところは微塵もありませんが、丁寧によく吟味された、という印象を受けます。
兄ウインザー公は、時に快活で、時にオドオドとし、時にはにかんだ、子供の様にめまぐるしく表情の変わる方でした。それがまた、公の大きな魅力の一つであったことは確かですが、大人の男としての雄々しさや落ち着きに欠けるといった点は否めないと思います。

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ウインザー公の装いは素晴らしいし素敵だと思います。公のような装いの感性を持てたらなぁ、とも思います。そして、変遷流転極まりない公の人生のように、華麗に、めまぐるしく生きてみたいとも思います。
しかしながら、ジョージ六世とウインザー公、「どちらのような男でありたいか?」と問われれば、私は、ジョージ六世と即答するでしょうし、装いも、具体的に参考にするとすれば、やはり、ジョージ六世だと思います。
己に課せられた苦難に敢然と耐え続け、そのストレスによって縮められたとも言われる56年の短い生涯の中、国を愛し、国民を愛し、妻を愛し、娘たちを愛し、そして、偉大なる治世とまで言われるようになった後継者を育てたジョージ六世に、一人の男性として敬愛の念を捧げてやみません。

自分の問題とルール。

男性の装いには、様々な場面において多くのルールが存在します。
ルールを正しく把握して理解するのは、大切なことだと思います。けれども、昨今のアパレル・ショップや、個人の着こなしブログ的なものを散見致しますと、些か、そのルールの運用の仕方を取り違えている、或いは、自己満足を得る為と思われるルールの運用が多く目につくように感じます。
勿論、その人個人が楽しむために装うのは、決して悪いことではありません。しかし、ダークスーツ以上のドレスコードが存在する場面では、その場面の趣旨を尊重すべきでしょう。服装を合わせるということは、同じ目的や価値観で集い、その集いをより充実したものにするためにするのですから、成人男子たるもの、まずそのことを優先すべきだと思います。

また、装いにおけるルールの運用は、個人々々の個性によって、それが微妙に変わるということを忘れてはならないと思います。誰もが同じように運用すればよいというものではないのです。厳守しなければならない者がいれば、アバウトでよい者もいるのです。
具体的に書かせて頂けば、次のようなことです。地方の冠婚葬祭には、都心のアパレル関係者には評判の悪い、参加者全員ブラックスーツに白シャツ白ネクタイ、または、黒ネクタイという場面がよくあります。この場合、多数の装いに合わせるのか、国際的なルールに準ずるのかという議論があり、それぞれの支持者による意見がありますが、どちらも愚見であると申し上げざるを得ないでしょう。なぜならば、当人の個性というものが全く考慮されずに、ルールの運用の成否だけが問題にされているからです。
人間は、一人々々見た目も印象も違うのです。周りと違う服装をしていても、全く周囲に悪印象を与えない人もいれば、ほんの少し変わっただけで、良くない印象を与える人もいます。これは人間関係に、相手にキツイことを言っても憎まれない人もいれば、そういうことを匂わせただけで敬遠される人がいるのと同じことなのです。
前者は、自分の思ったような服装をすればよいでしょう。周囲への配慮として、あまり奇抜な事はしない方が良いと思いますが、ある程度の自分の個性の発揮はあってもよいでしょう。
後者は、周りに合わせた服装を心掛けて、「正しくはこうだ・・・」とか「自分は・・・」という気持ちは押さえるべきでしょう。
本来、こういったことは、ドレスコード云々や、どう装うか以前に、個々が当然把握しているべき事柄で、二十代の若者ならばいざ知らず、三十も過ぎて、自分がどういう人間かもわからない者に、装いのルールがどうだのという話題自体が無意味ですね。
これは、ルールの問題ではなく、その人その人の「自分の問題」なのです。

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さて、その装いのルールですが、日本人は、薀蓄やそもそもルールを好むところがありますから、そういった知識を得ると、その精神的比重を大きくしがちですが、それはかなり野暮なことだと書かなければなりません。
覚えたてのルールを、守ろう守ろうと必死になっている姿ほど滑稽なものはないからです。ルールというものは、身について意識せずに自然に運用できなければ、知らないのと同じことなのです。自然に運用できるようになると、これまた自然に、その人なりのカスタマイズがされていくものなのです。そして、その自然な運用のためには経験が不可欠で、残念ながら、二年や三年で身につくようなものではないのです。稀に、生まれや育ちに関係なく、エレガンスの権化のような方も存在しますが、それは例外です。
ルールを把握した上で経験を積み、周囲から見れば落ち着いて素敵で、場面を乱さないその人なり(家や一族共通ということもあるでしょう)の作法、それをマナーというのです。
そうした作法を身につけている方が、他人の装い方を批判するでしょうか? 自分の装いをあれこれと他人に説明したがるでしょうか? そのような慎みの無い行為をする方はいないでしょう(笑)。
これらが理解されていないと、滑稽で、妙な勘違いが生まれてきます。
例えば、年にほんの数回タキシードを着るか着ないかの者が、フォーマルが云々と述べたり、正礼装がどうとか言っても、それは知識だけの物言いであり、逆に、その知識が正確であればあるほど滑稽になってしまいます。
個性の個人差として前述しましたが、装いも、その本人の生活ステージに合わせて努力し、洗練させ、磨き上げていくべきで、日常、スーツ姿が多いのであればスーツの装いに、セパレーツが多いならばその装いにこそ、情熱を注ぐべきでしょう。もっとも、若者が、「いずれ、毎日のように礼装する人間になるのだ」と、走って行くのであれば微笑ましい部分も多々ありますが(笑)。

装いのマナーというものは、食事のマナーとほぼ同じと書いてもよいかもしれません。それは、この種の事ほど、その人の生きてきた、育ってきた環境を想起させるものはないからです。食べることと着ることは、悲しいかなどうしても「お里が知れて」しまうのです。そして、大人になって知識だけが身について、上手くこなしてやろう、とするから益々いけなくなってしまう。マナーにおける所作とメンタルは、自然に発露されるからこそ美しいので、それにはどうしても、少なくとも少年時代に身につけて経験を積んでいなければ、まず難しいのです。
自然な所作ができれば、そこに自然に、その人なりの癖や習慣が微妙に溶け込んで、ルールに則った、けれどもその人だけの所作が出来上がるのです。それが、スタイルというもので、その人その人の個性によって、それが「ほんの少しの外し」に見えたり、「一滴の毒」に感じさせたりするのです。そうした部分だけをやたらとクローズアップして、意識的にやろうとしたり、観察して外しだの毒だのと表現する者は、自分なりの自然な所作が身に付いていない人間なのだと自ら喧伝している、とも言えるのではないでしょうか(笑)。
ポール・キアーズの著書の巻頭の文章で、「魚用のナイフで肉を切ろうと、シャンパングラスで赤ワインを飲もうと、そんなことは本人の自由。そんなことで、人を批評するのは間違っている。しかし、ワイルドが書いたように、見た目で人を判断しないのは愚か者だけである、という言葉もまた事実である。」というのは、上記のようなことを婉曲な言い回しで言っているのです。

私は、今回のこのページの内容を書くことを迷い、躊躇しました。それは、不可能とまでは言わなくとも、どんなに努力してもどうにもならない、というネガティブな部分が存在し得るからです。
以前のページにも少し書かせて頂きましたが、それは、「学生生活が終わって初めてスーツを着る」ような人が多い日本人には、決定的に不利な内容なのです。
しかし、今回敢えてそれを書かせて頂いたのは、自己認識を冷静にできれば、不可能のパーセンテージはかなり下がる、と思ったからです。
知識に逃げず囚われず、これも以前のページに書かせて頂きましたが、立場や得た物が、容姿や人間的魅力をカバーするなどと独りよがりな甘えをせず、自分に有るものと無いものをきちんと把握した上で、穏やかに堂々と「三十路の手習い」を完遂し、「素敵なネクタイですね」ではなく、「~さんていつも素敵だよね」と言われる日本の方たちがどんどん増えていくことを、私は心から願っております。

MHDグランドモルトテイスティング2011

去る1月20日、MHDグランドモルトテイスティング2011という、シングルモルトウイスキーの試飲会に招んで頂きました。
MHDとは、モエ・ヘネシー・ディアジオの略記で、英国の酒類商社ディアジオと、フランスのコングロマリットLVMHが合弁で設立した、日本市場に於ける輸入販売会社です。
私は、お酒があまり強くはないのですが、昔からラガバリン(今風に書きますと、ラガーヴリン)というシングルモルトウイスキーのファンで、このMHD社がラガバリンの輸入元であるために、十年来の友人が誘ってくれたのです。

試飲会は、青山迎賓館で行われ、入り口ではウエルカム・ドリンクとして、シャンパングラスに注がれたタリスカーソニックとグレンモランジー(これも、今風に書くとグレンモーレンジですね・笑)・ソーダが振る舞われました。
本会場手前のスペースでは、バイオリンとアコーディオンの独奏がイベントに花を添えておりましたが、う~ん、辛口で申し訳ないが演奏はイマイチ。なにより、ここはバグパイプにして頂きたかった!

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MHDのロバート・レムナント社長を囲んで、左が友人のH氏、右が私です。
ナイトイベントですが、ドレスコードはカジュアルとのことで、スコッチに敬意を表して、「私のハリスツイード」のスーツで参りました。


会場では、グレンモランジーやアードベッグなどのMHD所有のメジャーどころに加えて、知る人ぞ知る蒸留所のオールドビンテージも数多く出揃い、お目当てのゲストでまさに大盛況でした。
私は、タリスカーの30年ものと25年ものからスタートしました。また、もはや無くなってしまった蒸留所の年代ものも揃っており、ブローラの30年やブリーキンの28年を頂きました。
試飲したモルトウイスキーの中では、タリスカーの25年とブリーキンの28年が私の好みに合うようでした。
私のお目当てのラガバリンは、16年、カスクストレングスの12年、94年製のシェリー樽詰めと、定番品の出品でしたが、16年があれば私は満足で(笑)、後半は、こればかりを頂いておりました。
一度、「自分の愛する定番」が決まると、めったに変替えしないのが、良くも悪くも私の性癖で、色々と試飲した後で、「やっぱりコレだな~」ということになった訳です。

因みに会場には、各蒸留所の製造責任者がいらしており、グレンモランジー・アードベッグの製造責任者であるビル・ラムズデン博士にうかがったところによれば、「シングルモルトウイスキーに於いては、ビンテージはあまり重要ではない、あまり古くなるとアルコールと樽の香りと味ばかりでフラットになってしまう」「シングルモルトウイスキーの香りと味、そして品格は、仕込みの技術と丁寧さに拠るところが最も大きい」「日本の方には、ビンテージを編重する方が多いが、ワインからお酒を覚えた人たちの影響が大きいのでしょう」とのこと。
現在販売中の、定番商品に対するセールストークともとれますが、やはり、処変われば品も考え方も変わる、お酒が変われば考え方や味わい方、そして楽しみ方も変わるのですから、さもありなんと傾聴致しました。

珍しい、そして美味しいお酒をたんと頂きまして、とても幸せな夜でした。友人H氏に感謝です!

明けましておめでとうございます !

皆様、明けましておめでとうございます。
本年が皆様にとりまして、より良いお年となりますよう、心から願っております。

私は毎年、日付が1月1日になると、身形を整えて初詣に参ります。
詣でるのは、自宅から徒歩数分のところにあるS山神社という神社です。
神社の入り口には、石工の足立光一氏の手による狛犬の江戸玉獅子が迎えてくれます。そこから急峻な石段を上る途中左手に名古木指定の欅の古木が聳え、上り切った高台にT見川を見下ろして社殿があります。

S山神社の祭神は、諸説あって確定しておりませんが、神社では五十猛尊としております。
この神は、日本神話の中で、私が最も愛好する神のお一人であります。素戔嗚尊の子であり、木々の種を持って天下り、国中に種を植えて回ったので、日本は木々の青々と茂る国になったのだと言われております。

木は、種を植えた時点では育つのか育たないのか知ることはできません。人間であれば、少年の頃に植えても、成木になるのを自分が見られるかどうかはわかりません。
それでも、青々と茂る大八洲の国を夢見て植え続ける、私にそんな想像をさせる五十猛尊が好きなのです。

物事というのは、努力しなければ報いられないと人は言います。
しかし、報いられよう報いられまいと、つまり結果に捕らわれずに、自らがやるべきと信ずることはやる。例えそれが、自らの不利益になるようなことがあってもやる。それをする者かしない者かで、人間はまず二種類に分かれると私は思っています。

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マキァベリは、君主論を執筆する時、そのための瞑想をする時には必ず正装したと言われています。自分にとって最も大切で尊い行為をする時に、その心を身形で表したのでしょう。
世間から遠ざけられた、誰ひとり語る者の無いあづま屋で、一人正装するその行為を馬鹿馬鹿しい無駄をする者だと思うか、素敵なことだと思うか・・・。

日本国中に種を植え続けた五十猛尊。私もまた植え続ける人間であるために、自らがやるべきと信ずることはやる人間であり続けるために、それを神に誓うのではなく、神の前で自らの意思を確かめより強めるために、私は身形を整えて神前に参るのです。

長年の懸案に挑む。 -2-

最近、私はドレスシャツのことをYシャツと呼びます。
ホワイトシャツが訛った、昔風のワイシャツという呼称ではなく、ドレスシャツの仕立て屋さんである、Y氏の頭文字からとったYシャツです(笑)。
ちなみに、このシャツですが、「私のハリスツイード -4- 」と同じく記事の更新が滞りましたが、既に10月の初旬に納品されております。

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9月3日に行われた、中縫いの写真です。前回とは変わって、本番の生地でのトライング・オンとなります。
着用して背中からの写真、ほぼ綺麗に背中に合っていますが、赤い矢印の部分の皺が気になりますので、修正します。
背中のプリーツは、タックでなくY氏の得意技である(笑)、ギャザーにしました。

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前からの写真、左身頃側です。赤い矢印部分の皺が、要修正ですね。
前身頃が脇に入る部分をご覧頂きたいと思います。身体に沿って入り込んでいる、かなり絞ったアームホールですが、私の身体に合わせて構築されているので、着心地はアームホールの大きな一般の仕立てシャツよりも数段楽です。と、言うよりも、比較できないレベルです(笑)。
加えて、腕の運動量を考慮して、脇に「キセ」の仕立てが用いられていますので、腕を上げたり反らせたりしても、引っ張られたり突っ張ったりすることがありません。

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前からの写真、右身頃側です。やはり、赤い矢印の部分の皺を修正します。左身頃に比べると、皺の出方は緩やかですが。
肩ヨークの乗り方の自然さと、身頃の生地がまっすぐ自然に下に落ちているのをご覧頂きたいです。そのため、襟とネクタイの座りもとても自然なのがお判り頂けるでしょう。ヨークと身頃の境い目の部分にも「キセ」の仕立てが用いられています。

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上着を着用したところです。とてもよく上着に馴染んでいるのがご覧になれると思います。
驚嘆するのは、その着心地です。上着の着心地が、2割はアップしていると実感できます。このシャツは、下に私の身体、上にこのN氏の上着を着ることを前提に、採寸・裁断・構築されているのですが、それにしても、これ程とは・・・、正確にお伝えしたくても、その文章力を持っておりませんし(汗)、写真でお伝えできるものでもありませんので、なんとも歯痒いですが、スーツの下に着用するシャツというものが、世間一般に、まだまだ技術的な可能性を残したままで完成したとされている、或いは、放置されているということを強く感じています。
是非ともY氏には、その可能性の追求に邁進して頂きたいと願っています。そして・・・、そして、私のシャツの追加も・・・(笑)。1着では、どうにもやり繰りができませんので・・・、よろしくお願いします(笑)。

夜会服 きつつなれにし・・・。

最近、季節がらフォーマルシーンが目立って増えて参りまして、私も、夜会服を装う機会が多くなりました。
華やかで、端正で、シンプルで、私は夜会服が大好きです。
しかしながらそれは、悲しいことに日本人男性がもっとも苦手とする装いではないでしょうか?
堅苦しい、気恥ずかしい、面倒臭い等々、敬遠する理由は多々ありますが、つまるところ自身の照れと、自信の無さに極まるのではないかと思われます。
しかし、本当にフォーマルウェアは、気詰まりな気の重い装いなのでしょうか? 私はそうは思いません。黒と白のシンプルなフォーマルウェアは、スーツのようにコーディネイトに迷ったり、個性の発露に悩んだりする必要もありません。突飛なことをせずに、きちんと着こなそうとすれば、誰でも端整に見せてくれる装いなのです。
ロジャー・スミスは言いました。「並の男でもフォーマルな服装に身を包めば、並はずれて見えるもの。但し、彼がはじめから人並ならばだけれどね。」つまり、ロジャー・スミスの論理に従えば、並み以下の男でも人並みに見える装いの筈なのです(笑)。
もちろん、シンプルであるが故に、中身の人間性が顕れてしまう。更に、それが故に本当の意味で着こなすのは難しい、といったことはあるでしょう。
しかし、まず着ることです。楽しんで着ることなのです。入門者である筈なのに、達人の心境と技術を慮るのは、日本人の最も悪い癖だと思っています。

今の季節からは、ナイトイベントが多くなります。食事も美味しくなり、音楽の演奏会も増え、友人達やパートナーと夜会服を着て出かけるのは素敵なことではありませんか!
ここでいう夜会服とは、ブラックタイとホワイトタイのことですが、現在、まず一般にあるフォーマルシーンは、ブラックタイ、所謂タキシードを装うものでしょう。私は仕事柄、ホワイトタイを装う機会がありますが、年に数度といったところです。
日が落ちてからドレスアップするという習慣は、もう300年に渡って西欧で続いてきたものです。その趣旨は、祝い事や敬意、親愛の情を表するために特別な装いをしよう、ということなのです。
ですから私は、パーティーシーンだけでなく、もっとも愛する演奏を聴きに行く時、もっとも愛する店に行く時、もっとも愛する者と特別な時間を持つ時、もっとも愛する友人を祝福する時に、その気持ちを表現するためにも、時にはブラックタイを装います。それが、一人でも大勢でも構いません。

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上の写真は、私のディナーコートです。六つ釦のダブルブレステッドで、生地はミッドナイトブルーのバラシアを使って仕立てられています。本当は、装った写真があるとよいのですが、パーティーシーンでそんなことを考えていては楽しめませんし、おもてなしもできませんので、悪しからず(笑)。この写真は、このディナーコートを仕立ててくれたN氏のお店の、イベントのディスプレイにお貸しした時のものですが、ボウタイ以外はすべて私のものです。因みにボウタイは、かのT&Aのものですが、私が結ばせて頂きました。
ブラックタイの上着には、タキシード、ディナージャケット、ディナーコート等々、いくつもの名称があり、すべて同一のものを指すとする説、厳密にはすべて違うものであるという説はじめ、喧々諤々諸説ありますが、私は、その呼び方にはそんなに重きをおきません。こと現代においては、装う方がお好きな名称で呼べばよいことだと思っています。
私は、ディナーコートという英国式の呼び方の一つが好きなのです。それには、一応理由がありまして、私は、ディナーコートを誂える生地は、スミス・ウールンズという生地会社のミッドナイトブルーのバラシアと決めております。スミス・ウールンズは、数少ないロンドンの生地商で、最近では映画の007に生地を提供したことなどが話題になっていますが、ロンドンという都会の生地商らしく、フォーマル用の生地のクオリティが素晴らしいのです。
ミッドナイトブルーが、本当に「白熱灯の下では黒よりも黒く見える」真正のもので、しかも、スーツ生地にはない端正さを生地そのものが持っているのです。
そんな生地で誂えたならば、ちょっと英国式に呼んであげたくなるのも人情というものではありませんか(笑)。
スミス・ウールンズは、ウェイトのある梳毛スーツ生地や、カシミア混の細番手スーツ生地、ツイード、夏のモヘアなど、何を扱わせても独特の特長を伺わせる素晴らしい生地会社ですが、その真骨頂は、やはりフォーマル用の生地にあると思うのです。ロンドンの粋、が感じられます。

クリスマスに向かって、夜のイルミネーションに彩られていく街に、ブラックタイで出かけてみませんか? いっぱいの薔薇の花束を抱えて、満面の笑みを浮かべて、自分の一番大切な人と素敵な夜を楽しむために・・・。

私のハリスツイード。 -4-

私のハリスツイード、中縫いです。
実は、この中縫いは、去る9月の8日に行ったのですが、自宅のPCが壊れてしまったために、記事を作れなかったのです。ブログの更新が暫く滞ったのも、そのためだったのです(汗)。そして、この服、既に納品して頂いて着まくっております。

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ウエストコートとトラウザースを着用した写真です。私は、服の名称の表記の仕方には、あまり拘らない方なのですが、ツイードのこうした少々大胆な色柄の服には、なんとなく英国表式名称を用いたくなってしまいます(笑)。ウエストコートは、「いつもの」ダブルブレステッドです。

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上着を着て、セットアップ完了(笑)です。
ダークスーツである、「カシミア・カシミア」の方のスーツと違って、アウトドア散策にも着用するカントリーウェアの要素もありますので、袖丈はやや長め、肩もローブドにはしていません。ポケットは、脇が水平のフラップ、胸がウエルトです。私は、脇ポケットのフラップが斜めのスラントは、好きではないのです。この服で馬に乗る予定もありませんし。
着感は・・・、もはや今更書くまでもなく・・・、お見事です。

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背中も綺麗に合っています。ダークスーツに比べると、ウエストの絞りは緩めです。N氏は、背中を綺麗に合わせてウエストを絞っても、男らしい背中の表情を作ってくれるのが素晴らしいと思っています。
何度も書いておりますが、私の背中は、肩甲骨周囲の背筋が盛り上がっていて、合わせるのが面倒なのですが・・・。いつも、ご苦労様です(笑)。

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前回の記事で、ちょっとした趣向を凝らしたと申し上げたのが、コレです。
上着の仕様は、二つ釦一つ掛けですが、その上に同じ間隔で三つのボタンホールと釦がついており、全て閉まります。閉めると、詰襟というかスタンドカラーの様になるのです。
この仕様を考えた理由は二点、人生初の積極的に着るシングルブレステッドの上着でしたので、何か特別な趣向を凝らしたかったことが一点、もう一点は、冬の野外でもコートを着ないで子供の用に走り回れるように(笑)、ということなのです。三つ揃いにしてあるのも、セットアップのバランスもさることながら、コートを着ない寒さへの対応のためなのです。

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着用して座ったところです。
腕を曲げたところなどをご覧頂くと、中縫いの段階にもかかわらず、生地がとても柔らかくこなれているのがおわかりになると思います。
服好きの皆様の間では伝説的な存在である、かの公爵様の、ヘビーなツイードのスーツを着られた写真を拝見しますと、その、生地が服全体に柔らかくこなれているのは、ある程度服を着込んだ経験のある者なら、決して着込んでこなれただけではないとお気付きになる筈です。
今回は、そういった柔らかさを追求しまして、N氏と相談しながら、仕立て前の生地の「地のし」に大変時間をかけて工夫を凝らしました。
先日、この服を着てN氏のお店を訪問した際に、とてもヘビーなお客様から、「えっ、ハリスですか? 柔らかくて気持ち良さそうですね~。 触ってもいいですか?」と仰って頂きました。善哉善哉、であります(笑)。

日本カー・オブ・ザ・イヤー2010-2011

去る11月9日、日本カー・オブ・ザ・イヤー2010-2011最終選考会にご招待頂き、行って参りました。
今回の日本カー・オブ・ザ・イヤーは、31回目となり、早稲田大学の大隈記念講堂で催されました。その歴史の中で初めて大学で行われることになったのです。
実現のためのお世話役を務められたのは、「ファッションショーと日本の未来」の頁でご紹介した、友人のO氏です。早稲田大学理工学術院の表現工学科教授のO氏は、プライベートでは、あのランボルギーニ・カウンタックを乗り回す、大の車好きでいらっしゃいます。
選考会と授賞式に先立って催されたシンポジウムでは、これからの車社会についての討論などが行われ、O氏の司会で、同大学の大聖先生や高橋先生がお話しされた、車環境に関する技術研究には、工学系出身者の端くれとして大いに刺激を受けました。例え、専門違いであっても、学会や技術研究のシンポジウムには勉めて出席しなければいけませんね(笑)。

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上の写真右からO氏、自動車評論家の岡崎五朗氏、O氏の友人のU氏、私です。畑違いのイベントにおりますせいで、少々緊張しております、私(笑)。
自動車評論家の岡崎五朗氏は、私の高校、大学時代の後輩で、学生時代から自動車評論の仕事をはじめられ、現在まで二十年以上のキャリアをお持ちですが、一貫して「車の安全性」を最も重視して自動車を評価しています。
今回、大隈記念講堂前に、カー・オブ・ザ・イヤーにエントリーした多数の車の中から、最終選考に残った10台が展示されたのですが、それらの車を目の前にしながら、一台々々岡崎氏に解説して頂く、という幸運に恵まれました。目から鱗のお話がいっぱいあり、車を乗り替える際には、その観点が大いに革まりそうです(笑)。

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そして、日本カー・オブ・ザ・イヤー2010-2011の受賞車は、この車。ホンダCR-Zです。フォルクスワーゲンのpoloと激しく票を争いましたが、最後に劇的な逆転で受賞しました。これまでの歴史の中で、輸入車の受賞は無いそうで、今回、初の受賞が期待されていましたが、受賞には至りませんでした。
欧州の国々のカー・オブ・ザ・イヤー的な催しでは、日本車は多数の受賞の栄誉を得ていますが、その点、日本車が優秀なのか、それとも日本の催しが国内志向的なのか・・・。
ホンダCR-Zが優秀な車である、ということに変わりはないと思いますが。
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